2014年09月30日
ロシアへの旅(その10)
モスクワ駅に到着するけど改札口はない、乗り込む車両入り口の前 に係員が立っていて、
長女が英国の旅行社を通じて手配したEチケットとパスポートを見せて無事乗車し た。
13:45発でモスクワ着が18:15、 4時間半の旅となる。料金は飛行機より高い。
でもロシアの大地の風景を眺めながら食堂車にも乗って移動する魅力は大きい。
列車はひたすら長い。スァースト、ビジネス、エコノミーに分か れ、我らはエ
コノミーに乗り込んだ。
ホームと車両の広い隙間を気にしつつ中に入り込むとすぐにスーツケース置場が、
さらに進むとコート置場がある。冬に厚着を強いられるロシアならではの設備だ。
天井からはモニターが下がっていて、この列車の説明が、積み込まれている惣菜
の作る過程までの映像も含め流されていた。その後はアラビアのロレンスらしき映画が
流された。
車両は残念ながら日本製ではなく、シーメンス、ドイツ製だった。新幹線に
比べ一回り小さな断面を持つ車両内は静かだった。スタート時の加速を終え一定になった
速度は200km/hを示していた。(つづく)
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05:57
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2014年09月27日
ロシアへの旅(その9)
この夜は20時 からショーのあるロシアレストランで食事をした。
コサックダンスに代表されるロシアの伝統的なダンスをアレンジ
したものを披露してくれた。
その夜はお客が少なく、ダンスの時に席を移動して目の前で見られた
ことはラッキーだった。
翌日、モスクワに向かう前にイサク聖堂のドームの展望台に登り、
サンクトペテルブルクの街を上から別れを偲んだ。
超高速鉄道“スコラスノーイ”でモス クワに移動する。
サンクトペテルブルクにある行き先の地名をつけたモスクワ駅から乗車した。
逆にモスクワにはサンクトペテルブルクではなく旧名のレニングラード駅がある。
ホテルからスーツケースを転がして駅に向かった。
歩道は大きな石が敷き詰められているので比較的移動しやすい。
途中途中には公園があり像がある。数多いベンチと遊具、手入れの行き届いた芝
と幾何学模様の花壇、これがロシアの公園にセットされている。(つづく)
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06:41
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2014年09月23日
ロシアへの旅(その8)
高速船で来た路を戻り、次は“血の上の救世主教会”に向かった。
物騒な名前のついたこの教会は、1881年3月1日に皇帝アレキサンドル
2世がテロにより殺害され、息子の3世 が父の死を悼み、テロにあった
この場所に建てたものだ。25年の歳月と多額の費用をかけた壮大な建築だ。
カラフルな“ねぎぼうず”が特徴的で、内外装ともに豪華なモザイクで覆われている。
当時の一流の画家たちがキリスト、聖人、天使、聖書における話を絵“イコン”にし、
それをモザイク壁画に仕上げる。緻密で美しい“イコン”が天井までも覆い尽くし
ている。
団体客はガイドの話を各々が持つイヤホン付きの受信機で聴いているが、我々個
人客にはそれはない。
ここには幸い日本語の音声ガイド器があった。眼にするものの意味がよくわかり
ありがたい。
ロシアの旅行中にミュージアム、聖堂、教会にいくつも入ったが、エルミタージュ美術館
とこの救世主教会にしか、音声ガイドはなかった。
ところで教会と大聖堂って何が違うのかな?教会はチャーチで大聖堂は カテドラル、
教会が総称で司教座のある教会のことを大聖堂と言う。(つづく)
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08:09
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2014年09月19日
ロシアへの旅(その7)






サンクトペテルブルクの二日目は世界遺産になっているピョートル 大帝の
夏の宮殿“ペテルゴーフ”に足を延ばすことにした。エルミタージュ美術館前
のネヴァ川の船着き場から高速船で30分、往復1100ルーブルがかかる。
雲が垂れ込めた河口フィンランド湾に出ての左90度方向の岸に向かった。
船を降りるとすぐにゲートがあり入園料450ルーブルを払い庭園内に 入った。
ピョートル大帝が北方戦争に勝利し、それを機に国威を内外に示す宮殿をという
ことで1714年着工、大帝が亡くなる2年前の1723年に完成した。
第二次大戦でドイツ軍に破壊されたが、見事に修復されている。
後に見たイサク聖堂も血の上の救世主教会も戦争時の大ダメージから復活している。
巨額の財と時間、知恵をかけたものは永遠に受け継がれていく。
国に留まらず世界の宝として、当時の芸術性、精神性が永久に残されていくこと
が素晴らしい。
庭園内に入り真っ直ぐに運河沿いを歩いていくと大宮殿が見えてく る。
宮殿手前の段々状にあるテラスに大滝と言う水の庭園があり、金色に輝く数々の銅像
が置かれている。11時に突然音楽が流れ、大噴水ショーが始まった。す、凄すぎる!
当時、ロシアの国威を見せつけるには充分だったであろう。
大滝下の公園には150以上もの趣向を凝らした噴水がある。それらは“アダム”、
“イヴ”、“ピラミッド”、“太陽”などと名付けられている。“いたずらの噴水”
は面白い。ベンチに腰掛けると突然噴水、知らずに掛けた人は水浸しになるというものだ。
噴水に使われている水は、いったん上の庭園まで引き上げられ、
その高低差の圧が利用されている。ただ水を噴き上げているだけでなく、
吹き出しノズルに動きもある。
これら仕掛けも含め当時のままに噴水が健在していることが素晴らしい。
この日、大宮殿中には休館日で見ることができなかったが、
下に広がる公園だけでも充分だ。死ぬまでに一度は見ておきたい“ペテルゴーフ”である。
(つづく)
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01:06
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2014年09月17日
ロシアへの旅(その6)




地球の歩き方のマップに目をやり周囲の目ぼしいところをと探すこ ともなく、
像や塔が目に入ってくる。火を吹く二本の塔が気になった。
ネヴァ川を往き来する舟が頼りにする灯台らしい。1810年に建てられた彫刻つき
の灯台だ。翌日に見たら火が出ていなかった。ナイスタイミングだったかな。
この日の夕食はホテルそばにある家庭的雰囲気のあるレストラン“テプ ロ”に行った。
店は伝統的町並みの中にあって目立たない。入り口からまずはパティオ的中庭広
場に入る。
中庭で食事をしている人も多く、特に子連れが多い。ひっそりとした街路から想
像できないほど中は賑わっていた。
予約を取って来なかったが、タイミングよく一組のお客が出て行ったので我々の
テーブルが出現したことは幸いだった。サラダ、スープ、メインと頼んだ料理はいずれも美
味しかった。
(つづく)
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23:42
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2014年09月13日
ロシアへの旅(その5)










小生がロシアに行くと言ったら、皆異口同音に「ボルシチが食べられるね」と言われた。
職場への皆へボルシチの素を土産にした。日本にも よくある粉末のスープの素だ。
それを渡すと多くは怪訝そうな顔をした。
「ボルシチ」=「ボリュームのあるビーフシチュー」と思っていたようだ。
ボルシチは正確に言えばロシアではなくウクライナの料理だ。
肉・野菜を煮込み、ビーツ(赤かぶ)を入れて仕上げたスープ。サワークリーム
を加えて食べる。
他のスープ料理に比肩するものが無いほどに赤い色合いをしているのが特徴だ。
この赤さは、ビーツに含まれている 赤色のベタシニアンが酸性に近いスープの
中で強く発色するからである。
悪夢の一夜を過ごしたモスクワドモジェド空港で一度口にした以降は、実は二
度と注文しなかった。
皆の口に合うかが心配だ。さて、話をエルミタージュ美術館に戻そう。
写真は撮りまくりだ。フラッシュを焚かなければオッケーだ。
但し、デリケートな日本画や貴族が纏っていたドレスは撮影禁止だった。
まずはイタリア美術からだ。ニコライ1世の書斎だった部屋がダ・ヴィンチの 間、
現存する絵画が14点しかないダ・ヴィンチの絵のうち2点がここにある。
ラファエロの間に続く。見逃せない絵の前は大変な人だかりだが、
多くは団体客なので過ぎ去った後にゆるりと観ることにした。東洋は俄然、中国
人が多い。
4時間の見学で日本人には数人しかお目にかからない。
団体旅行者 が多いのは、彼らは予め旅程が決まっている方々だからだ。
ロシアは個人が国内を自由に移動することを良しとしていない。
ビザ取得の厄介さがそれを物語っている。
続くはルーベン スにレンブラントに代表されるオランダ美術だ。
巨匠レンブラントの作品は20点を越していた。
次はエル・グレコにベラスケス、ゴヤのスペインの大家が揃って現れてくる。
その後にようやくルノワール、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ
と馴染みある作品が現れ、肩の力が抜けた。締めに掛け軸、浮世絵、兜に刀の日
本の展示を観た。
この上ない贅沢な美術鑑賞であったが、いかんせん疲れ た。
日本の12月を思わせる外の空気に触れながら近くのベンチにへたりこんだ。 (つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at
22:42
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2014年09月11日
ロシアへの旅(その4)







ソ連時代を旅してひどい目に遭った体験談が諸先輩から
寄せられています。その頃に比べれば、今ははるかにいいでしょ う。
ロシアの旅の記録は全てを書き終えていますので、このまま突っ走って
メール配信します。しばし、お付き合いくださいませ。
旅の途中に書いてしまいました。その4のはじまりはじまり
ホテルの朝食は3000円 と高いので、目指すエルミタージュ美術館の道 中にある
パイのレストランに入った。これはいけた。
飲み物もかねてスープも頼み、昼食抜きで観ることになるエルミタージュ美術
館に備えた。メトロポリタン、ルーブルと並ぶ世界的美術館に期待が高まる。
もともとは皇帝の宮殿だったもの。ピョートル大帝が冬を過ごす宮 殿として
1721年 に建てられ、その後三つの建物が建てられ廊下で繋がっている。
1837年に冬宮は大火で焼失したが修復された。エカテリーナ2世 が1764年に美
術品225点 を購入したことを契機に収集が始まり保管陳列するための建設が次々と行われた。
収蔵美術品数300万点、展示室を全て歩くと20キロメートルになると言う。
一日全てをエルミタージュ美術館で絵を見尽くす覚悟で来たが、11時見 学開始、
15時にダウン。美術館疲れを起こした。半地下にのみカフェ、トイレ、クローク
が ある、飲食物の持ち込みはできないので、見学を始めたら、ぶっ通しになる。
入館料は400ルーブル(約1200円)、長女は学生証見せてタ ダ、日本語対応の音声
ガイド器をインフォメーションで借りて、いよいよ観覧スタート。とにかく、宮殿装飾が素
晴らしい。
眩いばかりの金色に色とりどりの大理石がふんだんに使われている。
天井からはシャンデリア。このデザインと緻密な施工に圧倒される。(つづく)
※写真は朝食を食べたパイのカフェ、エルミタージュ美術館
Posted by Qさん 大魔人 at
20:57
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2014年09月10日
ロシアへの旅(その3)






悪夢の騒動の結果、丸一日モスクワ空港で過ごし、
やっとの思いでサクトペテルブルクのブルコヴォ空港に着、
ホテルから迎えの車が来ていて、無事にチェックイン。
サンクトペテルブルクはモスクワに次ぐロシア第2の都市で、
バルト海東部のフィンランド湾最東部に面するネヴァ川
河口デルタに位置しヨーロッパで最も美しい街の一つだ。
都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。ピョートル大帝が
1700年代に建都を命じ沼地を開拓し、自分と同名の聖人ペテロ
の名にちなんで付けたもの。
1914年、第1次世界大戦が始まりロシアがドイツの敵対関係になると
ロシア語風にペテルグルラードと改められ、さらにロシア革命により
ソビエト連邦が成立すると1924年よりレーニンにちなんでレングラード
に改名された。
ソ連崩壊後に1991年に住民投票でサンクトペテルブルクに戻った。
豪華な宮殿、大聖堂、高さの揃った街並、格式高い劇場、水路には
観光客を乗せた舟が行き交う素晴らしい街だ。
やっとの思いで着いた時には夜 もすでに遅くなっていたので、
その夜は近くのスーパーマーケットで、ライ麦でできた黒パン、
チーズ、ハム、ビールにワイン、スープを買って部屋で夕食。
ホテルは四ツ星だけあって快適。気絶するように寝付いた。
翌朝に部屋で入れて飲んだ紅 茶がうまい。
長女曰く「硬水で入れた紅茶は何でもおいしい、
緑茶はダメだけどね。」(つづく)
※写真はサンクトペテルブルク市街地
Posted by Qさん 大魔人 at
20:28
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2014年09月09日
ロシアへの旅(その2)

日 本の常識では考えられないことが起こったのだ。ものすごく時間をかけて長女の
Eチケットから搭乗券を発行したが、小生の分は出さずにレイトカウンターに廻
れというのだ。
そこのカウンターでももたもた時間がかっていた、そこに日本人の若者二人も来た。
出発時刻が刻々と迫るが係員は他の客の対応に手間取りタイムオーバー。
長女の荷物を乗せて飛行機は発ってしまった。結局、次の便のチケットを買う羽
目になった。
ここでも悲劇は待っていた。最終便のチケットが確保できカードで支払おうとし
たら、何とVISAもマスターズも使えない。どうやら経済制裁でアメリカのカード会社で
ある 両社のカードが使えなかったのだ。
もたもた両替してお金を払おうとしたところ、すでに二枚のチケットは売られて
しまっていた。
な、何と!結局、先の若者二人と空港泊ということになってしまった。
あぁ、ロシアはダメだこりゃ。現地でロシア語学ぶための交換留学に来た阪大生に、
ロシアでバレエ学校に学ぶ18歳の若者が旅の道連れになった。
キャッシングでルーブルをおろそうにも、持参した全てのカードは駄目だった。
お、お金がない。さぁどうする?
日本領事館に駆け込むことを考えたが、週末は休み、万事休すだった。
空港内の飲食店で恐る恐るカードを出し、暗証番号を押すと、
何と!通るではないか!その後も旅の期間中カード支払いができないことはな
かった。
(つづく)
※写真は旅は道連れ 空港で苦労した仲間たち
Posted by Qさん 大魔人 at
22:39
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2014年09月07日
ロシアへの旅(その1)






トラベルはトラブルが語源を地でいくような旅が始まった。
長女から「おとん、ロシアに行こうと思うけど、一緒に行く?」
彼女は大学4年、就職先も何とか内定し、ひと安心したところだ。
ウクライナ情勢を巡るロシアに経済制裁が激しくなっているのに大丈夫かな?
心配よりもこれを逃したらロシアに行くことは無いだろうな、
長女との旅も就職したら難しくなるだろうなの気持ちが上回り行くことにした。
8月29日に成田を無事に発った。飛行機は最新鋭らしく窓のブラインドが電気仕
掛けで調光できる。
目の前の各席のモニターも使い勝手、ソフトともに申し分なし。最初に行くとこ
ろはサンクトペテルブルクだ。
モスクワのドモジェド空港から国内線へ乗り換えが必要だ。予定では飛行機到着
から1時間45分、
この短さを長女は心配していた。到着予定時間を20分ほど前に着き、安心したの
もつか の間、入国審査の窓口に人がいない。
当然、長い列となり時間は確実に刻んでゆく。や、ヤバい。長女が機転を利かし
列を外れ、ロシアの職員に乗り継ぎがあり時間がないことを訴えキャビンアテンダントが通
る別のゲートから出させてもらってオッケー。荷物を受け取り国内線窓口に向かった。ここで
運は尽きた。
(つづく)
※写真はモスクワのドモ ジェド空港
Posted by Qさん 大魔人 at
20:32
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