2020年10月29日

富士紡遺産復活物語(その3)



豊門会館の大改修に際し、役場でかつて担当されていたOBの土屋さんから「元々は清水組、今の清水建設が施工しているから、

声掛けしてみたらどうか」のアドバイスがあった。当時、富士紡の工場建物も清水が建設していた。今となっては

、その事の記憶が清水にはなく、この声かけにより初めて知ったほどであった。歴史的建築物の改修に実績もある清水建設は、

改修後のイメージ図を持って来られた。豊門会館の裏庭に池があり、そこに写り込んだ姿がいかにも美しい絵が目の前に現れた。

これを見せつけられると実現したくなるのが人情。設計者を決めるためにプロポーザルに出したところ、西洋館前にはフランス式

庭園を豊門会館周りは和風庭園を配し、景観の変化を楽しみつつ回遊できる散策路を提案したフィールドフォーデザインオフィス

というランドスケープを専門とする事務所が選ばれた。できあがりを見ると公園の修景というより庭園に変えたと言った方が相応しい。

正門入ってすぐに和田豊治像、桂並木の向こうに日比谷平左衛門の銅像、碑には銅製の説明板、西洋館前にはバラ園、

半円の噴水泉に半円のステージを付け加えイベント対応とした。豊門会館の映り込みを狙った水盤、モスグリーンの寄附ベンチ。

全てにこだわった新生豊門公園になった。(つづく)



  


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2020年10月23日

富士紡遺産復活物語(その2)



町は平成20.21年に富士紡から取得した豊門公園を一般開放することを目的に樹木の伐採、

園路、屋外トイレ、パーゴラ、ベンチを整備した。この一角に住民参加でつくる花壇があり、

木の電信柱を並べ花壇の枠としていた。特に花もなく美しいといえるようなものではなかった。

小山町に着任早々、込山町長から「歴史的云われある公園なんだから、それらしいものに」との指示をされた。

建物もロケに使われる程度で普段は閉ざされていた。特に西洋館の痛みはひどく、

外壁には穴があき中が見えるほどになっていた。当然のことながら町民からは修繕の要望が出されていた。

しかし、特に必要性がない建物にかけるお金が回ってくるほど財政は豊かではないし、指定ではなく

登録文化財では国からの補助金もない。そこに降ってきたのがふるさと納税だ。

県内の自治体が大金を集めるようになり、小山町でも遅ればせながら導入するようにと町長から指示を受けた。

企画していいのならば、寄附の目的の選択肢に「文化財の保護・利活用」を加えた。

ここに全体の一割程度の寄附が集まってきたことで、小山町に来て三年目、ようやく富士紡の遺産改修

に着手できる目途が立った。まずは豊門公園を修景することを豊門会館と西洋館の改修に先駆けて行った。

「建物だけでいいのでは」との声もあったが、無視した。建物と庭は一体であると考えていることと、

庭は外から見えるものであるから変化がわかりやすいことがあった。(つづく)


  


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2020年10月23日

富士紡遺産復活物語(その1)



小山町民から「富士紡遺産復活の立役者は溝口さんなんだから、記憶になること書いてよ」

とのリクエストがあった。南足柄市に来てから頭の中はどうしたってこちらのことに

埋め尽くされていく。記憶にある内にその一端を作文することにした。

豊門公園を案内しているときに必ずお客さんに尋ねることがある。「何かの臭いがするのですが、何でしょうか?」と。

実はあまり香る草木はない。寄附銘版、ベンチをご覧になると分かる。そう、金の臭いがする公園なのである。

ふるさと納税をフルに遣っての整備ではあるが、他にも寄附をお願いしてきた。お金が不足していた訳ではないが、

寄附という形で多くの方々にこの事業に関わって欲しかったからだ。ベンチには町民有志の方々のメッセージ入り

ネームプレートが付いている。日比谷平左衛門像にはご子孫から、和田豊治像にも和田薫幸会からのご寄附を頂戴している。

正面入り口そばの寄附銘版には町内企業はもとより、連名の町民、小生の友人企業も名を連ねている。(つづく)



  


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2020年10月03日

足柄市赴任(その2)



早速、やってもらいたい仕事のリストを渡された。昭和40から50年代に建てられた學校を含め公共施設が

そのまま手が付けられておらず、大規模修繕が必要であるし、役割を終えかけている施設もある。

この場合はその後の利用をどうするのか?何とか筋道を立てなくてはいけない。

多数施設があるから、これは相当に長く続く事業になろう。

地蔵堂という「金太郎生家跡」、「金太郎の飛び石広場」に「金太郎もみじ」と言わば金太郎の里がある。

ここに箱根に抜ける林道が整備され、人の往来が増えるので、これを気に観光振興を図りたい。まだまだ課題は続く。

このところ調子のいいふるさと納税の寄付金はあるものの、富士フイルムの本社が移転し税収が減った市に余裕はない。

ここが知恵の絞りどころだ。公民連携をうまく仕掛け、いかにイケてる仕事に組み立てるかがいつも念頭にある。

まずは手始めに区画整理の際に設けた調整池が広くある。今の時期、草ぼうぼうになっていて、住民からは当然の如く

草刈りの要請が来る、しかしこの広さだ。熱中症間違いなしの作業にたじろぎ、頼むにも割増料金が請求されそうだ。

サッカー場に、イベント広場にとアイディアはある。でもこれを市でやるとなると草刈以上の費用がかかりそうだ。

ならば、必要とする者に貸してしまえばどうだろう。広場を自由に運営する。貸しコートでもフリーマーケットの

会場だって、駐車場だって、使い途は相当にありそうだ。公民連携の名のもとにサウンディング調査をしてマーケット

のある無しを確認しよう、話はそれからだ。役所の中で議論していても始まらない。

「公務員よ、席を立って街に出よう。そこにみんなが待っている。」と由布院の中谷健太郎さんに良く言われた言葉だ。

早く準備に取りかかろう、冬が近づき草の勢いが失せたときに、皆が加勢できるようにね。

任期は2年8カ月。スタートダッシュで駆け抜けたいものである。

ご案内できる処たくさんあります。どうぞ、様子見に南足柄にお越しくださいませ。(おしまい)

※写真は近所にひっこしそばの代わりに配ったお米 南足柄の我が家での呑み会



  


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2020年10月02日

南足柄市赴任(その1)



8月1日から神奈川県南足柄市に企画部、都市部及び教育部のトリプル参事として就任した。

静岡県を早期に退職し小山町でまちづくり専門監を務めたのが6年4カ月、

そんなに長くいたのと言われたが心の中では9年間いるつもりだった。

小生を呼んだ込山前町長の任期中はお付き合いしようと思っていたからだ。

ところが、昨年4月の町長選に、歴代の町長が避けてきた都市計画税の実施の目処を立てた矢先に、

それを廃止するとノコノコ出てきた候補者に破れた。しかも、この新町長は専門監なんて要らないと言うのだ。

となれば、役場に居にくくなるのも当然のこと、前に町長からの依頼の仕事が済めば用はない。

それが7月末を退職の時期に選んだ理由だ。昨年、かねてから交流のあった県は違うがお隣さんである

南足柄市の市長からウチに来てくれないかとのオファーがあった。まだまだ隠居の身でもないし、

望まれる内が華と思い転職を決意した。

南足柄市は神奈川県西部の市で県内では最も人口が少ない4万1千人ほどである。

箱根山の外輪山の北東側にあり酒匂川
の支流のひとつ狩川
を中心に市街地が広がっている。

市域の7割は山に囲まれ水に恵まれている。国土交通省の制定した水の郷百選
にも選ばれており、

富士フイルム
やアサヒビール
など大手企業の事業所・工場が立地している。

また、「金太郎のふるさと」として知られ市内のいたるところで金太郎に出会える。

ちなみに小山町は「金太郎生誕の地」として売っている。

※写真の一枚は新居のガレージ  (つづく)




  


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