2020年10月23日
富士紡遺産復活物語(その2)




町は平成20.21年に富士紡から取得した豊門公園を一般開放することを目的に樹木の伐採、
園路、屋外トイレ、パーゴラ、ベンチを整備した。この一角に住民参加でつくる花壇があり、
木の電信柱を並べ花壇の枠としていた。特に花もなく美しいといえるようなものではなかった。
小山町に着任早々、込山町長から「歴史的云われある公園なんだから、それらしいものに」との指示をされた。
建物もロケに使われる程度で普段は閉ざされていた。特に西洋館の痛みはひどく、
外壁には穴があき中が見えるほどになっていた。当然のことながら町民からは修繕の要望が出されていた。
しかし、特に必要性がない建物にかけるお金が回ってくるほど財政は豊かではないし、指定ではなく
登録文化財では国からの補助金もない。そこに降ってきたのがふるさと納税だ。
県内の自治体が大金を集めるようになり、小山町でも遅ればせながら導入するようにと町長から指示を受けた。
企画していいのならば、寄附の目的の選択肢に「文化財の保護・利活用」を加えた。
ここに全体の一割程度の寄附が集まってきたことで、小山町に来て三年目、ようやく富士紡の遺産改修
に着手できる目途が立った。まずは豊門公園を修景することを豊門会館と西洋館の改修に先駆けて行った。
「建物だけでいいのでは」との声もあったが、無視した。建物と庭は一体であると考えていることと、
庭は外から見えるものであるから変化がわかりやすいことがあった。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at 22:26│Comments(0)