2015年08月23日
ハルビンへの旅(その7)



前夜は友人の姉のお宅に訊ねた。ご主人は1985年に日本にいたとい う。
ユニークな文具を世に出し続けることで有名な?キングジムで一年間研修されて
いたという。
その時に岡山工場が竣工し、その記念の写真を額に入れ大切に保管されていた。
また、社長はじめ会社の方々からの手紙も大切にファイリングされていた。
日本語もかなり話すことができる。
ハルビンを後にする時刻が近づいてき た。高級な中国茶、茶器、ハチミツ、
ビール、白酒、チョコレート、お菓子、ご馳走ばかりかスーツケース
いっぱいのお土産まで頂戴した。
他に話せる言葉がないこともあって「謝意、謝意」「再見、再見」を何度も口にした。
そして、来夏にも来ることを約束した。富士山の麓にもどうぞと伝えはしたが、
今回のもてなしには到底敵わない。せめて、中国語入門編程度はマスターしておきたい。
(おしまい)
Posted by Qさん 大魔人 at
20:51
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2015年08月21日
ハルビンへの旅(その6)







振国さんのマンションを訪ねることになった。ハルビン都市部に戸建て住宅は見当たらない。
超高層のマンションが建ち並ぶ。複数の棟の集合で一つの団地を形成し、中に入
るには監視員のいるゲートでチェックを受ける。
車は地下駐車場に収まり、地上は公園になっている。大型ショッピングセンターでもどこに
車を置いたかわからなくなる程の広い地下駐車場がある。
振国さんのお宅は30階にある。エレベータに乗りキーを指すと30階にのみ止まる。
エレベータを降りると二戸のみの扉がある。隣の隣の部屋に行くとすれば、
改めて一階からエレベータに乗る必要がある。
扉を開けるといきなり部屋だ。玄関というものがない。ロシアでもそうだった。
マンションはスケルトン売り、内装は別に発注となる。
街中には家具、内装の大型専門店が立地している。センスも試されるし、
知識も相当に必要になる。それにより生活へのこだわりが高くなり、
このことは丁寧な暮らしぶりに繋がる。
リビングの床は大判の石張だ。マイナス30℃にもなるハルビンで石では冷たいので は?
心配無用、床暖房があるし、熱源は温水が熱源供給センターから配管により送ら
れてくるというのだ。
スイカジュース、手作り葡萄酒、中国式お茶のもてなしを受けた。
何しろ語り合いができないので、口はもっぱら出されたものの入り口になるしかなかった。あぁ
(つづく)
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22:59
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2015年08月21日
ハルビンへの旅(その5)








泊まったホテルの前を松花江(しょうかこう)という川が流れている。
岸は公園として整備され、散策、太極拳、釣り、楽器の演奏に相当数
の人々が思い思いに楽しんでいる。
朝5時過ぎに川に目をやると何人もの人が川を横断ではなく、流れの方向に延々
と泳いでいるのである。
オレンジ色の浮きを紐に結んでいる。どうやらタオルやら着替えが入っているの
ではと思われる。
川は泥水、岸辺にはごみも多く、とても泳ぐ気になれるような代物ではなかった。(つづく)
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00:03
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2015年08月17日
ハルビンへの旅(その4)




ハルビンといえば日本陸軍731部隊の細菌兵器開発のために人体実験を 行い3000
人もの中国、ロシア人を虐殺した施設があることが知られている。
終戦直後、隠蔽工作のため建築物の多くは破壊され機密資料も焼却され、
残された広大な敷地は工場や住宅に使われていたが1985年に侵華日軍第731部隊
遺址として開館、2006年以降は立ち退きと遺跡発掘や修復が進められている。
訪ねたときは火葬の煙突三本をデザインに取り入れた、いかにもオドロおどろし
い建物を建築中、相当に刺激的な展示や映像が見られることになるのではと思う。
反日感情をかなり高めるのではという心配がある一方、戦争の残虐、人間が集団
になると起こし得る愚行を未来永劫伝え、二度と戦争を起こさない強い仕掛けと
なることを期待したい。
来年の夏にはきっと見学できることになろう。
広島、長崎の原爆資料館を見た時以上にショックを受けそうだ。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at
22:17
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2015年08月13日
ハルビンへの旅(その3)










宴 もたけなわになると、小生には毎晩お務めがあった。
昼間に案内を受けているので、その感想を述べることだ。
いつも必ず言ったことが、運転役を担った友人家族の次男の振国さんのドライブ
テクがレーサー並だということだ。片側5、6車 線を我先にと飛ばす車群、命知らずの
歩行者が道路上に立って横断を試みる。
駐車だって段差を乗り越え歩道を進み、巧みにスペースを見つけ出し車体を滑り
込ませる。
車に凹みは全くない。とても小生には運転することなどできない、助手席にいて
思わず仮想ブレーキを踏む。
前見ているよりも、横に目を向けていた方が安心して乗っていることができる。
目にするもの珍しいものばかりだからその方がいい。
ユダヤ人が建てた建築がハルビン市建築芸術館分館として、ロシア人兵士のため
に建てられたロシア正教の教会が、内部は教会要素は全くなく昔の街の様子の写真、模型が展示されている。
回りは広場、ショッピングモール、ここで見た噴水が素晴らしかった。
定刻に音楽に合わせ水滴ダンスが繰り広げられる。
昼食も全てご馳走してもらった。
クレープに肉、野菜、ソースを塗り巻いていただく。「ハゥチィー」(美味しいの意味)。
お粥まで出され、とてもじゃないけど食べきれない。
これが残飯として処分ではあまりにもったいないと思ったところで、
お持ち帰り用パック(有料)が 出てきて残り物は全て収まった。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at
23:44
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2015年08月10日
ハルビンへの旅(その2)









友 人の家族には大変お世話になった。着いた当日にご馳走いただけると思った
ら何と滞在期間中、四晩とも晩餐会が用意されていた。
全て個室で各部屋には20人が食を囲むことのできる椅子に丸テーブル、食事前の
一時を 過ごすソファー、トイレがある。次々にできたての料理が電動のターンテーブルに置かれ、目の前
にきた料理を銘々に取っていく。ここハルビンは東北料理の類いに入る。
内陸部であるから、魚介類よりも肉料理、野菜料理が多い。しかし、コテコテの
郷土料理ではなく、中国の国内外の料理がアレンジされている。苦手なパクチィー、内臓の類さえ
入っていなければ大方の料理は美味しく頂戴した。ここハルビン毎年ビール祭りが行われるほど
「ビールの都」として有名。ビールの一人当たり年間消費量1位は文句なしのミュンヘンなので
すが、2位3位は諸説あるようで、モスクワだったり、パリだったり、ここハルビンだったりする。
少し軽めのハルビンビールは辛め、炒めものが多い料理に相性がいい。乾杯「カンペイ」と言われ
互いに杯を一気に空ける飲み方にお腹が膨らみ抵抗はあるが、基本的に自分のグラスには
自ら注ぎので、ある程度マイペースで飲むことはできる。
カンペイの時には相手を立てるべき時には自分のグラスの渕を下に当てる必要がある。
日本でもその事を意識する人も見受けられる。離れた席の人に対してはターンテーブルにグラスの
底を当ててカンペイの形をとる。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at
22:34
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2015年08月06日
ハルビンへの旅(その1)








車窓から果てしなくつづくとうもろこし畑から、裸地が見えたとた んすぐに
建設中の超高層マンションが何棟も現れた。もうすぐ終着のハルビンだ。
熱い日本を抜け出して中国北部、隣はロシア、そこまで行けば涼しいだろうと、
福岡−大連を飛行機で飛び、2泊した後にハルビンに中国版の新幹線で向かった。
特等、1等席に乗ると水とお菓子が入ったプレゼントがある。
日本製の新幹線であって欲しかったが、残念、ドイツ製だった。
7月26日に到着した大連では度肝を 抜く建築に出会った。新 国立競技場の
設計で名が知れ渡った建築家ザ ハ・ハディッドばりの複雑な彫塑的な建築だ。
夜になると金属板の鎧を着たこの建物は夜甲虫のごとく色を変える。大連国際展
示場である。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at
23:15
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