2012年07月19日

焼津バル(その2)







チケット片手にまずは一軒目「ひやかし」
3種類のバルメニューが用意されていた。マグロ、カツオ、なまりぶしのサラダ
各々頼んでビールで乾杯。
二軒目「にじいろ」はこぎれいな割烹居酒屋で、涼しげなガラスの器に刺身盛り
合わせに磯自慢。
盃に口を持ってくると気分は吉田類。

「可久」はこじんまりした料理屋。野菜たっぷりのカツオのたたき。
刺身に飽きてきたのでここはおでんの「串りき」に入る。焼津港に上陸した鹿児
島の高齢の漁師が一人、おでんと焼き鳥を肴にビールを呑んでいた。
歳いったおばちゃんが一人切り盛りしていた。
缶ビールがそのまま出てきて、これにリクエストのおでん3本セット。

5軒目に向かう。スナックの店構えの「アバ」だ。メニューにまぐろの目玉の煮
つけ、ほほ肉のステーキと書かれていた。コラーゲンたっぷりのとろとろマグロに舌鼓。
ここの亭主は元JR社員、話が進むうちに糠漬けが出てくるわ、バル以外の別メ
ニューも、とびきりの日本酒も居心地がよく、すっかり呑みこんだ我々はチケットを3枚ずつ出し、
これで7枚すべて使い切った。

「にじいろ」以外は全て初めて入った店だった。
バルのポスターが貼られていれば躊躇なく店に入っていくことができ、20分ほ
どで楽しみ次に新鮮な楽しさが連続する。
7月22日(日)島田駅周辺でバルが開かれます。これを機会に是非、島田の夜
を堪能してくださいませ。
(おしまい)



  


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2012年07月18日

焼津バル(その1)








「バル」と名のつくはしご酒イベントが流行っている。
5店舗は入れることができる5枚つづりのチケットをまずは
買う。前売り3,500円、当日売り4,000円だ。
チケットを買った後はバル参加店の表示があるマップに
各店舗のバルメニューが書かれているガイドマップを片手に
バルの表示のある店を目指す。
バルメニューはワンドリンク、ワンフーズが基本だ。

静岡県内では、今から2年半ほど前、富士市吉原で
やったのが最初だった。
その時の面白さを忘れずにいた。
今回は藤枝・焼津・島田各市ごと7月7,15,22日の毎日曜日に開かれるという
画期的な試みだ。使い切れないチケットは次のバルか、または後日1枚500円相当で
飲食ができるということになっている。

7月15日の焼津バルに浜松から5人で出かけて行った。
内、女性親子がいるが呑みはかなりやれそうな感があったので
5枚つづりを7枚買った。7店舗はしごするつもりである。

焼津駅に着くと早速待ち構えていた志太(藤枝、焼津、島田市がある地域を志太
地域と呼ぶ)バル大使3人衆。 頭には刺身、黒はんぺん、カツオを付け、我々を歓迎してく
れる。
チケット購入後は、焼酎の歓迎酒が待っている。いっぱいひっかけて、いざ出陣。
(つづく)



  


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2012年07月15日

寸又峡温泉開湯50周年記念フォーラム「若者が地域を変える」3












「直接的な誘客はできないけど、何かしらインパクトのあるフォーラムで地 元
の 人のハートに火をつける」という仕掛けとして、
この「日本上流文化圏会議」をこの地で開催することを提案した。


 テーマは「1000年 の学校in南アルプス」だった。このテーマが難産だった。
時は1999年、世はミレニアムブームに沸いていた。
当時NHKの「ようこそ先輩」が放映されていて、著名人が母校の小学校に出向
き授業を受け持つという場組が受けていた。

早大の後 藤春 彦教授が翠紅苑の露天風呂で閃いた「Qさん、1000年の学校って
いう のはどうだ ろう?先人たちの暮らしに学ぶ、
それを仙人として千年にひっかけて」「いいじゃないですか、それ」今も使われ
ている「千年の学校」が産声を上げた瞬間だった。


 かつての本川根の暮らしに欠かせない、水、薪、住、茶、食などの伝統的な技
をもつ達人を講師役(仙人)として、こどもたちや
町民、参加者とともに、体験学習をするものだった。下河辺淳、内山節、椎葉村
の椎葉クニ子らを筆頭に宮崎、宮城、群馬、静岡など
から農林業者、建築家、地域計画家、行政マンにより、地域に生きる哲学と実
践、厳しい風土が生む力と技をめぐって、
2つのセッションが2日間にわたって開かれた。1000年の伝統を未来の1000年 に
引き継いでいこうというこの会議の趣旨は
全国からの参加者の共感を得ることになった。


こ の会議の理念を受け継ぎ、本川根町域全体を広大なキャンパスに見立て、体
験的学習を通じて人づくりを、そこから魅力づくりへ、
そして活力づくりへとつながっていくことをねらって今のスタイル「千年の学
校」ができている。今年度は「ふ るさとの山の暮らしコース」
「田舎のものづくりコース」「未来につなげる文化コース」が用意されていてな
かなか楽しい。

こ のことが、観光客を増加させることにつながってはいないが、この地に愛着
を持つ人の増加、住民のまちづくりマインドの向上
には確実につながっていると思う。(つづく)






  


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2012年07月10日

寸又峡温泉開湯50周年記念フォーラム「若者が地域を変える」2




温泉 地へ の直接的な誘客よりも「観光まちづくり」を進めることを説いていた。
というのも由布院で「花咲かすよりも根を肥やせ」「最も暮らしやすい処こそ、
最も優れた観光地である」ということをたたきこまれ、
プロモーション活動よりもまちづくり活動に専念していたからである。

寸又 峡温 泉の宿泊客は平成4年をピークに下り傾向にあった。直接的な誘客は
できないけど、何かしらインパクトのあるフォーラムやって、そこらの気づきで新たなまちづく
りのムーブメントを興そうと思った。

そのことは平成6年度に出向していた豊岡村で開催した黎明フォーラムを きっかけに 興った
まちづくりの動きを体感したからことによる。


平成8年夏に 山梨 県早川町で『日本・上流文化圏構 想』が産声を あげ た。
かつて上流で生活していた人間は農業や工業が発展するにつれて、下流で都市生
活を営むようになった。
しかし、上流の送りだす水やエネルギーに支えられ、繁栄を誇るかに見えた下流
も、ようやくその浪費と資源の枯渇に気づき、環境の汚染にあえぎ始めている。
上流圏・早川に住む私たちは、山と水とを守り続けた先人に学び、自然とともに生き、
資源を大事にし、真に人間らしく暮らすことができる
地域の創造へといちはやく出発したい。 そして、中流・下流の都市と役割を分
担しながら、将来にわたって人間が生き続けるための自然と共生できる新しい文明を構築し、
上流としての文化を創出することを目標としている。その考えに共感した地域で「日本上流文化圏会議」
を開いていた。
第1回が山梨県早川町、第2回は宮崎県五ヶ瀬町、第3回が北海道ニセコ町で、第4回が寸又峡温泉がある
静岡県本川根町だった。(つづく)  


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2012年07月04日

寸又峡温泉開湯50周年記念フォーラム「若者が地域を変える」1




寸又峡温 泉へは、平成9年3月 に由布院温泉観光協会と旅館組合の理事らと一緒
に行ったのが初めてだった。
由布院観光総合事務所に事務局長として勤務して一年が経とうとしていた。
当時、由布院温泉観光協会長の中谷健太郎さんが「Qさんを由布院に出してくれ
た静岡県知事にお礼に伺いたい」と言った。
ちょうどその頃、観光総合事務所の職員を滋賀県長浜市にあるまちづくり役場に
出向させることにしていたので、
長浜市へのお願いの挨拶も兼ねていた。長浜市に一泊し、静岡県庁に向かい知事
にお礼挨拶をした。
その時の石川知事を囲んで撮った写真がアルバムにしっかり収められている。

目的を達 した我らが向かったのが「寸又峡温泉」だった。
秘境の温泉と言われる温泉地の旅館にさしたる期待もなく泊まったのが翠紅苑
だった。
ところが、大正ロマン調の内装、客室には炉を切ったテーブルがある小部屋も付
いていて、
和風クラッシクホテルといった感じでとても気に入った。由布院の旅館の連中も
驚いていた。

由布院から静岡県に戻ってくると、県内温泉地から結構声がかかっ た。
総会があるので話してもらえないだろうか、活性化に知恵を貸してもらえないだ
ろうか、等ありがたい言葉を頂戴した。

中でも寸又峡 温泉 から は熱心なお誘いを受けた。
それが今も続き、私的名刺には「寸又峡まちづくり会議実行員会 相談役」と刷
り込んである。
(つづく)







  


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