2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その5)
九重夢の吊橋
人口一万一千人の町に一機に年間230万人の観光客、そして落とした消費額が橋の入場料だけで11億円、吊橋効果は九重町のみで、40億円、周辺の旅館を含め旅館の稼働率は二割アップ、別府、由布院、黒川温泉などから、神様・仏様・九重様・と手を合わせられる、周辺のわりに九重町の旅館が潤っていない、町長は議会で町内の民間施設にお金が落ちる仕組みをつくれ、町だけ入場料で儲かっていて、と、毎回追求される、
投資額は約20億円、一日千人あればと計画、なんと一日平均6,600人が入場。我々が行った日は今年最低で1,500人。アクセス道路、駐車場、物販施設の工事中、毎日渋滞、町は借金の償還を前倒し、町民の為に、就学前の医療費を全額無料、小中学生の医療費補助、その他色々な福祉制度の採用を検討している、返済は二億円を前倒しした。
吊橋を造るきっかけは、町の観光振興計画が、平成四年に作製されたのにもとずき、決定、計画から四年で完成。町内の農業関係者で牧場、牛乳販売、焼肉店などグリーンツーリズム観光関係で商売をやっている人達から、是非吊橋をかけて観光人口を増やしてくれ、三箇所ある立派な滝を世に出してくれ、等等、地元農家と宿泊施設より夏は良いが冬はダメ、年間を通して客の来る方策を作れ、強い要請があり、九重町の一部の人達の思いで坂本町長は決断した。当時、殆どの町民はこんな小さな町でどうして、二十億円もかけるの、夕張市の話題でもちきりの時、だれが責任をとるのなど、散々だった。
はたして今は、そして今後は、入場人員が減ったらどうするの、100万人を切ったら、滝に繋がるアクセスを造る、橋を照明するなど、次の仕掛けは用意してあるが、いかんせんこの渋滞では、利用客が減るのを待っているような口ぶり。(大分県人はものごとを否定的にいう傾向が強いと思う)
行政の視察は連日あるが、あなた達のような民間の観光業者の視察はマレとのこと。
民間が自ら動くしかないか。
舘山寺温泉の吊橋の参考事例
ロケーション、九重大橋はまるで日本のグランドキャニオン、大きな瀑布が見え、頑丈な橋脚、ほとんど揺れない立派な建造物、塩原の紅葉谷大橋とは、比べ物にならない立派さ、九重大橋が出来たなら、舘山寺温泉程度の吊橋は簡単に出来ると一同の感想、役場の課長はお宅の吊橋に何か売りを、九重は日本一がある、例えば揺れるとか、揺れたほうか、利用客が多くなると助言があった。
トータルで考える、日本の真ん中、立地、ロケーション、回遊性、東名高速から見える、交通利便な場所、浜名湖の景観など、わが方は、他の吊橋との差別化などクリアすれば、最低150万人程度の入場者が可能ではないか、総工費二十億の吊橋が、一日千人で償還可能と計画した事例、すくなくとも年間30万人の計画でゴーサインが出せたなら、舘山寺温泉の吊橋計画も、最低でもこの程度の入場者の確保は可能ではないか。
今後どうする
吊橋単体での費用対効果を測定
舘山寺温泉の吊橋計画の賛同者を増やす
塩原紅葉谷吊橋のその後の利用人員調査
浜松市並びに周辺への経済波及効果を測定する
他の地区の吊橋入場者を調査し、計画値を作成する
行政サイドの応援の仕組みを作る
全体を通じての感想、
由布院温泉の幹部との懇談、新進気鋭の調理師新江さんとの出会い、観光カリスマ首藤さんとの出会い、米田事務局長との縁、全ては、前由布院観光協会事務局長で静岡県庁職員、大魔神、キューちゃんこと、溝口久さんから始まっていることにあらためて感謝、感謝
(おしまい)
※写真は九重の大吊橋
人口一万一千人の町に一機に年間230万人の観光客、そして落とした消費額が橋の入場料だけで11億円、吊橋効果は九重町のみで、40億円、周辺の旅館を含め旅館の稼働率は二割アップ、別府、由布院、黒川温泉などから、神様・仏様・九重様・と手を合わせられる、周辺のわりに九重町の旅館が潤っていない、町長は議会で町内の民間施設にお金が落ちる仕組みをつくれ、町だけ入場料で儲かっていて、と、毎回追求される、
投資額は約20億円、一日千人あればと計画、なんと一日平均6,600人が入場。我々が行った日は今年最低で1,500人。アクセス道路、駐車場、物販施設の工事中、毎日渋滞、町は借金の償還を前倒し、町民の為に、就学前の医療費を全額無料、小中学生の医療費補助、その他色々な福祉制度の採用を検討している、返済は二億円を前倒しした。
吊橋を造るきっかけは、町の観光振興計画が、平成四年に作製されたのにもとずき、決定、計画から四年で完成。町内の農業関係者で牧場、牛乳販売、焼肉店などグリーンツーリズム観光関係で商売をやっている人達から、是非吊橋をかけて観光人口を増やしてくれ、三箇所ある立派な滝を世に出してくれ、等等、地元農家と宿泊施設より夏は良いが冬はダメ、年間を通して客の来る方策を作れ、強い要請があり、九重町の一部の人達の思いで坂本町長は決断した。当時、殆どの町民はこんな小さな町でどうして、二十億円もかけるの、夕張市の話題でもちきりの時、だれが責任をとるのなど、散々だった。
はたして今は、そして今後は、入場人員が減ったらどうするの、100万人を切ったら、滝に繋がるアクセスを造る、橋を照明するなど、次の仕掛けは用意してあるが、いかんせんこの渋滞では、利用客が減るのを待っているような口ぶり。(大分県人はものごとを否定的にいう傾向が強いと思う)
行政の視察は連日あるが、あなた達のような民間の観光業者の視察はマレとのこと。
民間が自ら動くしかないか。
舘山寺温泉の吊橋の参考事例
ロケーション、九重大橋はまるで日本のグランドキャニオン、大きな瀑布が見え、頑丈な橋脚、ほとんど揺れない立派な建造物、塩原の紅葉谷大橋とは、比べ物にならない立派さ、九重大橋が出来たなら、舘山寺温泉程度の吊橋は簡単に出来ると一同の感想、役場の課長はお宅の吊橋に何か売りを、九重は日本一がある、例えば揺れるとか、揺れたほうか、利用客が多くなると助言があった。
トータルで考える、日本の真ん中、立地、ロケーション、回遊性、東名高速から見える、交通利便な場所、浜名湖の景観など、わが方は、他の吊橋との差別化などクリアすれば、最低150万人程度の入場者が可能ではないか、総工費二十億の吊橋が、一日千人で償還可能と計画した事例、すくなくとも年間30万人の計画でゴーサインが出せたなら、舘山寺温泉の吊橋計画も、最低でもこの程度の入場者の確保は可能ではないか。
今後どうする
吊橋単体での費用対効果を測定
舘山寺温泉の吊橋計画の賛同者を増やす
塩原紅葉谷吊橋のその後の利用人員調査
浜松市並びに周辺への経済波及効果を測定する
他の地区の吊橋入場者を調査し、計画値を作成する
行政サイドの応援の仕組みを作る
全体を通じての感想、
由布院温泉の幹部との懇談、新進気鋭の調理師新江さんとの出会い、観光カリスマ首藤さんとの出会い、米田事務局長との縁、全ては、前由布院観光協会事務局長で静岡県庁職員、大魔神、キューちゃんこと、溝口久さんから始まっていることにあらためて感謝、感謝
(おしまい)
※写真は九重の大吊橋
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その5)
九重夢の吊橋
人口一万一千人の町に一機に年間230万人の観光客、そして落とした消費額が橋の入場料だけで11億円、吊橋効果は九重町のみで、40億円、周辺の旅館を含め旅館の稼働率は二割アップ、別府、由布院、黒川温泉などから、神様・仏様・九重様・と手を合わせられる、周辺のわりに九重町の旅館が潤っていない、町長は議会で町内の民間施設にお金が落ちる仕組みをつくれ、町だけ入場料で儲かっていて、と、毎回追求される、
投資額は約20億円、一日千人あればと計画、なんと一日平均6,600人が入場。我々が行った日は今年最低で1,500人。アクセス道路、駐車場、物販施設の工事中、毎日渋滞、町は借金の償還を前倒し、町民の為に、就学前の医療費を全額無料、小中学生の医療費補助、その他色々な福祉制度の採用を検討している、返済は二億円を前倒しした。
吊橋を造るきっかけは、町の観光振興計画が、平成四年に作製されたのにもとずき、決定、計画から四年で完成。町内の農業関係者で牧場、牛乳販売、焼肉店などグリーンツーリズム観光関係で商売をやっている人達から、是非吊橋をかけて観光人口を増やしてくれ、三箇所ある立派な滝を世に出してくれ、等等、地元農家と宿泊施設より夏は良いが冬はダメ、年間を通して客の来る方策を作れ、強い要請があり、九重町の一部の人達の思いで坂本町長は決断した。当時、殆どの町民はこんな小さな町でどうして、二十億円もかけるの、夕張市の話題でもちきりの時、だれが責任をとるのなど、散々だった。
はたして今は、そして今後は、入場人員が減ったらどうするの、100万人を切ったら、滝に繋がるアクセスを造る、橋を照明するなど、次の仕掛けは用意してあるが、いかんせんこの渋滞では、利用客が減るのを待っているような口ぶり。(大分県人はものごとを否定的にいう傾向が強いと思う)
行政の視察は連日あるが、あなた達のような民間の観光業者の視察はマレとのこと。
民間が自ら動くしかないか。
舘山寺温泉の吊橋の参考事例
ロケーション、九重大橋はまるで日本のグランドキャニオン、大きな瀑布が見え、頑丈な橋脚、ほとんど揺れない立派な建造物、塩原の紅葉谷大橋とは、比べ物にならない立派さ、九重大橋が出来たなら、舘山寺温泉程度の吊橋は簡単に出来ると一同の感想、役場の課長はお宅の吊橋に何か売りを、九重は日本一がある、例えば揺れるとか、揺れたほうか、利用客が多くなると助言があった。
トータルで考える、日本の真ん中、立地、ロケーション、回遊性、東名高速から見える、交通利便な場所、浜名湖の景観など、わが方は、他の吊橋との差別化などクリアすれば、最低150万人程度の入場者が可能ではないか、総工費二十億の吊橋が、一日千人で償還可能と計画した事例、すくなくとも年間30万人の計画でゴーサインが出せたなら、舘山寺温泉の吊橋計画も、最低でもこの程度の入場者の確保は可能ではないか。
今後どうする
吊橋単体での費用対効果を測定
舘山寺温泉の吊橋計画の賛同者を増やす
塩原紅葉谷吊橋のその後の利用人員調査
浜松市並びに周辺への経済波及効果を測定する
他の地区の吊橋入場者を調査し、計画値を作成する
行政サイドの応援の仕組みを作る
全体を通じての感想、
由布院温泉の幹部との懇談、新進気鋭の調理師新江さんとの出会い、観光カリスマ首藤さんとの出会い、米田事務局長との縁、全ては、前由布院観光協会事務局長で静岡県庁職員、大魔神、キューちゃんこと、溝口久さんから始まっていることにあらためて感謝、感謝
(おしまい)
※写真は九重の大吊橋
人口一万一千人の町に一機に年間230万人の観光客、そして落とした消費額が橋の入場料だけで11億円、吊橋効果は九重町のみで、40億円、周辺の旅館を含め旅館の稼働率は二割アップ、別府、由布院、黒川温泉などから、神様・仏様・九重様・と手を合わせられる、周辺のわりに九重町の旅館が潤っていない、町長は議会で町内の民間施設にお金が落ちる仕組みをつくれ、町だけ入場料で儲かっていて、と、毎回追求される、
投資額は約20億円、一日千人あればと計画、なんと一日平均6,600人が入場。我々が行った日は今年最低で1,500人。アクセス道路、駐車場、物販施設の工事中、毎日渋滞、町は借金の償還を前倒し、町民の為に、就学前の医療費を全額無料、小中学生の医療費補助、その他色々な福祉制度の採用を検討している、返済は二億円を前倒しした。
吊橋を造るきっかけは、町の観光振興計画が、平成四年に作製されたのにもとずき、決定、計画から四年で完成。町内の農業関係者で牧場、牛乳販売、焼肉店などグリーンツーリズム観光関係で商売をやっている人達から、是非吊橋をかけて観光人口を増やしてくれ、三箇所ある立派な滝を世に出してくれ、等等、地元農家と宿泊施設より夏は良いが冬はダメ、年間を通して客の来る方策を作れ、強い要請があり、九重町の一部の人達の思いで坂本町長は決断した。当時、殆どの町民はこんな小さな町でどうして、二十億円もかけるの、夕張市の話題でもちきりの時、だれが責任をとるのなど、散々だった。
はたして今は、そして今後は、入場人員が減ったらどうするの、100万人を切ったら、滝に繋がるアクセスを造る、橋を照明するなど、次の仕掛けは用意してあるが、いかんせんこの渋滞では、利用客が減るのを待っているような口ぶり。(大分県人はものごとを否定的にいう傾向が強いと思う)
行政の視察は連日あるが、あなた達のような民間の観光業者の視察はマレとのこと。
民間が自ら動くしかないか。
舘山寺温泉の吊橋の参考事例
ロケーション、九重大橋はまるで日本のグランドキャニオン、大きな瀑布が見え、頑丈な橋脚、ほとんど揺れない立派な建造物、塩原の紅葉谷大橋とは、比べ物にならない立派さ、九重大橋が出来たなら、舘山寺温泉程度の吊橋は簡単に出来ると一同の感想、役場の課長はお宅の吊橋に何か売りを、九重は日本一がある、例えば揺れるとか、揺れたほうか、利用客が多くなると助言があった。
トータルで考える、日本の真ん中、立地、ロケーション、回遊性、東名高速から見える、交通利便な場所、浜名湖の景観など、わが方は、他の吊橋との差別化などクリアすれば、最低150万人程度の入場者が可能ではないか、総工費二十億の吊橋が、一日千人で償還可能と計画した事例、すくなくとも年間30万人の計画でゴーサインが出せたなら、舘山寺温泉の吊橋計画も、最低でもこの程度の入場者の確保は可能ではないか。
今後どうする
吊橋単体での費用対効果を測定
舘山寺温泉の吊橋計画の賛同者を増やす
塩原紅葉谷吊橋のその後の利用人員調査
浜松市並びに周辺への経済波及効果を測定する
他の地区の吊橋入場者を調査し、計画値を作成する
行政サイドの応援の仕組みを作る
全体を通じての感想、
由布院温泉の幹部との懇談、新進気鋭の調理師新江さんとの出会い、観光カリスマ首藤さんとの出会い、米田事務局長との縁、全ては、前由布院観光協会事務局長で静岡県庁職員、大魔神、キューちゃんこと、溝口久さんから始まっていることにあらためて感謝、感謝
(おしまい)
※写真は九重の大吊橋
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その4)
直入・長湯温泉・ラムネ温泉・大丸旅館・首藤勝治
観光カリスマであり大分県議会議員、大丸旅館とラムネ温泉のオーナー、首藤勝治氏にお話を伺う予定であったが、時間に遅れてしまい恐縮、息子さんにお話を伺う
首藤氏は湯治場で有名であった大丸旅館の主人で、経営は奥さんに任せ、役場に勤めていた。長湯温泉活性化のため、首藤氏の発想で、町営の外湯〔御前の湯〕を開場した、この設計は由布院美術館を設計した象設計の富田玲子さんで、無国籍、オリエンタル調の素晴らしい建物がヒット、一気に長湯温泉に温泉客が来るようになった。
もともと世界屈指の炭酸泉が縁でドイツの温泉との提携をして九州では知られ、湯治場として昔から文人墨客の訪れる静かな温泉場であった。
圧巻は数年前に開場した〔ラムネ〕温泉、世界一多い炭酸泉、お湯のなかでも体から泡がブツブツ、なんと32度の低温温泉の露天風呂。設計は今業界で話題の、東大教授藤森照信氏、彼の仲間である、赤瀬川隼、などを通じ設計を依頼した。
息子さんの話しによると、溝口Qさん企画の豊岡村で開催した黎明フォーラム?に公演に行った折に浜松市天竜の〔秋野不矩〕美術館を見学、藤森照信の偉大さを知り、どうしてもこの先生の設計でと東大に日参し口説き落としたとの事。
ラムネ温泉は名前といい、外観といい、ビックリ、ユニーク、お風呂に入って、マイッタ、マイッタ。周りは麦畑、夏は蕎麦の花畑。
コンセプトは弥生時代の佐賀県の吉野ヶ里の部落か、ムラか、青森県の三内丸山遺跡の高床式建物か、敵襲を発見するための見張り台か、なんと屋根の上に日本の祝いの象徴、骨太の松ノ木の目印、焼き杉の壁、漆喰の浴槽、屋根は手塗りの銅版、浴槽の入り口は精神統一の為の茶室を思わせる、くぐり戸 まさに 体を洗わず、心を洗う
もう一度入りたい、後ろ髪を引かれるおもいで大丸旅館へ、これもすばらしい、これはあとで。
32度の低温泉と世界屈指の炭酸泉を、売りとする逆転の発想、気鋭の設計者を口説いた言葉は、露天の寒い時期はなんと農家のビニールハウスの囲い、違和感はない、超閑散期のため混んでいなかったが、シーズンは長蛇
の列でなかなか入浴できないとの事、最大入って50人程度、そして40分以上の長湯が常識とか、これではなかなか入れない
首藤勝治、最初に会ったのは確か七年前の湯布院の路上、大きな、体全体からオーラを発して長湯に造る外湯温泉を熱く語った、圧倒された。今回は自ら造った建築物と、その事業に賭ける熱意と、想いを実現させる力に、またまた圧倒された。
由布院の宿のあり方、料理、雰囲気作り、建物全てにデザイナーが必要ですよといっていた、新江さんの言葉が良く判った。
※写真はラムネ温泉の設計を依頼する動機をつくった藤森照信設計の秋野不矩美術館と首藤勝次氏
観光カリスマであり大分県議会議員、大丸旅館とラムネ温泉のオーナー、首藤勝治氏にお話を伺う予定であったが、時間に遅れてしまい恐縮、息子さんにお話を伺う
首藤氏は湯治場で有名であった大丸旅館の主人で、経営は奥さんに任せ、役場に勤めていた。長湯温泉活性化のため、首藤氏の発想で、町営の外湯〔御前の湯〕を開場した、この設計は由布院美術館を設計した象設計の富田玲子さんで、無国籍、オリエンタル調の素晴らしい建物がヒット、一気に長湯温泉に温泉客が来るようになった。
もともと世界屈指の炭酸泉が縁でドイツの温泉との提携をして九州では知られ、湯治場として昔から文人墨客の訪れる静かな温泉場であった。
圧巻は数年前に開場した〔ラムネ〕温泉、世界一多い炭酸泉、お湯のなかでも体から泡がブツブツ、なんと32度の低温温泉の露天風呂。設計は今業界で話題の、東大教授藤森照信氏、彼の仲間である、赤瀬川隼、などを通じ設計を依頼した。
息子さんの話しによると、溝口Qさん企画の豊岡村で開催した黎明フォーラム?に公演に行った折に浜松市天竜の〔秋野不矩〕美術館を見学、藤森照信の偉大さを知り、どうしてもこの先生の設計でと東大に日参し口説き落としたとの事。
ラムネ温泉は名前といい、外観といい、ビックリ、ユニーク、お風呂に入って、マイッタ、マイッタ。周りは麦畑、夏は蕎麦の花畑。
コンセプトは弥生時代の佐賀県の吉野ヶ里の部落か、ムラか、青森県の三内丸山遺跡の高床式建物か、敵襲を発見するための見張り台か、なんと屋根の上に日本の祝いの象徴、骨太の松ノ木の目印、焼き杉の壁、漆喰の浴槽、屋根は手塗りの銅版、浴槽の入り口は精神統一の為の茶室を思わせる、くぐり戸 まさに 体を洗わず、心を洗う
もう一度入りたい、後ろ髪を引かれるおもいで大丸旅館へ、これもすばらしい、これはあとで。
32度の低温泉と世界屈指の炭酸泉を、売りとする逆転の発想、気鋭の設計者を口説いた言葉は、露天の寒い時期はなんと農家のビニールハウスの囲い、違和感はない、超閑散期のため混んでいなかったが、シーズンは長蛇


首藤勝治、最初に会ったのは確か七年前の湯布院の路上、大きな、体全体からオーラを発して長湯に造る外湯温泉を熱く語った、圧倒された。今回は自ら造った建築物と、その事業に賭ける熱意と、想いを実現させる力に、またまた圧倒された。
由布院の宿のあり方、料理、雰囲気作り、建物全てにデザイナーが必要ですよといっていた、新江さんの言葉が良く判った。
※写真はラムネ温泉の設計を依頼する動機をつくった藤森照信設計の秋野不矩美術館と首藤勝次氏
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その4)
直入・長湯温泉・ラムネ温泉・大丸旅館・首藤勝治
観光カリスマであり大分県議会議員、大丸旅館とラムネ温泉のオーナー、首藤勝治氏にお話を伺う予定であったが、時間に遅れてしまい恐縮、息子さんにお話を伺う
首藤氏は湯治場で有名であった大丸旅館の主人で、経営は奥さんに任せ、役場に勤めていた。長湯温泉活性化のため、首藤氏の発想で、町営の外湯〔御前の湯〕を開場した、この設計は由布院美術館を設計した象設計の富田玲子さんで、無国籍、オリエンタル調の素晴らしい建物がヒット、一気に長湯温泉に温泉客が来るようになった。
もともと世界屈指の炭酸泉が縁でドイツの温泉との提携をして九州では知られ、湯治場として昔から文人墨客の訪れる静かな温泉場であった。
圧巻は数年前に開場した〔ラムネ〕温泉、世界一多い炭酸泉、お湯のなかでも体から泡がブツブツ、なんと32度の低温温泉の露天風呂。設計は今業界で話題の、東大教授藤森照信氏、彼の仲間である、赤瀬川隼、などを通じ設計を依頼した。
息子さんの話しによると、溝口Qさん企画の豊岡村で開催した黎明フォーラム?に公演に行った折に浜松市天竜の〔秋野不矩〕美術館を見学、藤森照信の偉大さを知り、どうしてもこの先生の設計でと東大に日参し口説き落としたとの事。
ラムネ温泉は名前といい、外観といい、ビックリ、ユニーク、お風呂に入って、マイッタ、マイッタ。周りは麦畑、夏は蕎麦の花畑。
コンセプトは弥生時代の佐賀県の吉野ヶ里の部落か、ムラか、青森県の三内丸山遺跡の高床式建物か、敵襲を発見するための見張り台か、なんと屋根の上に日本の祝いの象徴、骨太の松ノ木の目印、焼き杉の壁、漆喰の浴槽、屋根は手塗りの銅版、浴槽の入り口は精神統一の為の茶室を思わせる、くぐり戸 まさに 体を洗わず、心を洗う
もう一度入りたい、後ろ髪を引かれるおもいで大丸旅館へ、これもすばらしい、これはあとで。
32度の低温泉と世界屈指の炭酸泉を、売りとする逆転の発想、気鋭の設計者を口説いた言葉は、露天の寒い時期はなんと農家のビニールハウスの囲い、違和感はない、超閑散期のため混んでいなかったが、シーズンは長蛇
の列でなかなか入浴できないとの事、最大入って50人程度、そして40分以上の長湯が常識とか、これではなかなか入れない
首藤勝治、最初に会ったのは確か七年前の湯布院の路上、大きな、体全体からオーラを発して長湯に造る外湯温泉を熱く語った、圧倒された。今回は自ら造った建築物と、その事業に賭ける熱意と、想いを実現させる力に、またまた圧倒された。
由布院の宿のあり方、料理、雰囲気作り、建物全てにデザイナーが必要ですよといっていた、新江さんの言葉が良く判った。
※写真はラムネ温泉の設計を依頼する動機をつくった藤森照信設計の秋野不矩美術館と首藤勝次氏
観光カリスマであり大分県議会議員、大丸旅館とラムネ温泉のオーナー、首藤勝治氏にお話を伺う予定であったが、時間に遅れてしまい恐縮、息子さんにお話を伺う
首藤氏は湯治場で有名であった大丸旅館の主人で、経営は奥さんに任せ、役場に勤めていた。長湯温泉活性化のため、首藤氏の発想で、町営の外湯〔御前の湯〕を開場した、この設計は由布院美術館を設計した象設計の富田玲子さんで、無国籍、オリエンタル調の素晴らしい建物がヒット、一気に長湯温泉に温泉客が来るようになった。
もともと世界屈指の炭酸泉が縁でドイツの温泉との提携をして九州では知られ、湯治場として昔から文人墨客の訪れる静かな温泉場であった。
圧巻は数年前に開場した〔ラムネ〕温泉、世界一多い炭酸泉、お湯のなかでも体から泡がブツブツ、なんと32度の低温温泉の露天風呂。設計は今業界で話題の、東大教授藤森照信氏、彼の仲間である、赤瀬川隼、などを通じ設計を依頼した。
息子さんの話しによると、溝口Qさん企画の豊岡村で開催した黎明フォーラム?に公演に行った折に浜松市天竜の〔秋野不矩〕美術館を見学、藤森照信の偉大さを知り、どうしてもこの先生の設計でと東大に日参し口説き落としたとの事。
ラムネ温泉は名前といい、外観といい、ビックリ、ユニーク、お風呂に入って、マイッタ、マイッタ。周りは麦畑、夏は蕎麦の花畑。
コンセプトは弥生時代の佐賀県の吉野ヶ里の部落か、ムラか、青森県の三内丸山遺跡の高床式建物か、敵襲を発見するための見張り台か、なんと屋根の上に日本の祝いの象徴、骨太の松ノ木の目印、焼き杉の壁、漆喰の浴槽、屋根は手塗りの銅版、浴槽の入り口は精神統一の為の茶室を思わせる、くぐり戸 まさに 体を洗わず、心を洗う
もう一度入りたい、後ろ髪を引かれるおもいで大丸旅館へ、これもすばらしい、これはあとで。
32度の低温泉と世界屈指の炭酸泉を、売りとする逆転の発想、気鋭の設計者を口説いた言葉は、露天の寒い時期はなんと農家のビニールハウスの囲い、違和感はない、超閑散期のため混んでいなかったが、シーズンは長蛇


首藤勝治、最初に会ったのは確か七年前の湯布院の路上、大きな、体全体からオーラを発して長湯に造る外湯温泉を熱く語った、圧倒された。今回は自ら造った建築物と、その事業に賭ける熱意と、想いを実現させる力に、またまた圧倒された。
由布院の宿のあり方、料理、雰囲気作り、建物全てにデザイナーが必要ですよといっていた、新江さんの言葉が良く判った。
※写真はラムネ温泉の設計を依頼する動機をつくった藤森照信設計の秋野不矩美術館と首藤勝次氏
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その3)
山のホテル夢想園〔宿泊の宿〕
このホテルの会長であり今年の六月まで由布院の観光協会長であった志手淑子さんと社長であり、観光協会の専務理事を務める娘婿の史彦さんより現状を伺う。
日帰り観光客は300万人から400万人、宿泊は90万人、一日収容は5,000人とのこと、九重大橋関連の宿泊客はかなりあるとの話だった。今の観光協会長はやはり女性で、玉の湯旅館の娘さんで、桑野和泉さん、二代続いて女性、観光協会事務局の米田さんは溝口久さんの後任、就任十年目となる、着任当時と比べるとかなり落ち着いた感じ、公募で都庁の職員を退職しての意気込み、自信に溢れていた、
由布院繁栄の基礎を築いた、中谷さん、溝口さん、志手前観光協会長、息子さん、米田さん新江さん、いずれも、落ち着いた独特の語り口、過去の経過を伺えば皆さん同じ内容を話し、こよなく由布院を愛している、まったく関係者がひとつになっている統一性を感じる、お客様の来ない創業当時は毎晩のように旅館に夫婦で集まり、なにごとにつけ話し合い、解決し、由布院のありようを探ってきたお話を伺いました。
宿泊料金は一泊二万円以上の旅館が半分以上、団体客を受ける旅館は二軒、それも一寸だけ、一泊五万円で連日満員の旅館もある、泊まった宿も定員利用で一泊二万円から三万円の宿、この内容、この施設でどうしてこの金額が取れるのか、これも由布院ブランドか 永遠の課題 失礼 (人を癒す空間って何かと考えると由布院の雑木を主体とした自然志向、古民家調の大らかなつくりであって、決して数奇屋に見る隙が無く意図を持った緊張感ある空間ではないことに気づく)
※写真は夢想園の前菜 亀の井別荘のまちづくり作戦小屋

このホテルの会長であり今年の六月まで由布院の観光協会長であった志手淑子さんと社長であり、観光協会の専務理事を務める娘婿の史彦さんより現状を伺う。
日帰り観光客は300万人から400万人、宿泊は90万人、一日収容は5,000人とのこと、九重大橋関連の宿泊客はかなりあるとの話だった。今の観光協会長はやはり女性で、玉の湯旅館の娘さんで、桑野和泉さん、二代続いて女性、観光協会事務局の米田さんは溝口久さんの後任、就任十年目となる、着任当時と比べるとかなり落ち着いた感じ、公募で都庁の職員を退職しての意気込み、自信に溢れていた、
由布院繁栄の基礎を築いた、中谷さん、溝口さん、志手前観光協会長、息子さん、米田さん新江さん、いずれも、落ち着いた独特の語り口、過去の経過を伺えば皆さん同じ内容を話し、こよなく由布院を愛している、まったく関係者がひとつになっている統一性を感じる、お客様の来ない創業当時は毎晩のように旅館に夫婦で集まり、なにごとにつけ話し合い、解決し、由布院のありようを探ってきたお話を伺いました。
宿泊料金は一泊二万円以上の旅館が半分以上、団体客を受ける旅館は二軒、それも一寸だけ、一泊五万円で連日満員の旅館もある、泊まった宿も定員利用で一泊二万円から三万円の宿、この内容、この施設でどうしてこの金額が取れるのか、これも由布院ブランドか 永遠の課題 失礼 (人を癒す空間って何かと考えると由布院の雑木を主体とした自然志向、古民家調の大らかなつくりであって、決して数奇屋に見る隙が無く意図を持った緊張感ある空間ではないことに気づく)
※写真は夢想園の前菜 亀の井別荘のまちづくり作戦小屋
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その3)
山のホテル夢想園〔宿泊の宿〕
このホテルの会長であり今年の六月まで由布院の観光協会長であった志手淑子さんと社長であり、観光協会の専務理事を務める娘婿の史彦さんより現状を伺う。
日帰り観光客は300万人から400万人、宿泊は90万人、一日収容は5,000人とのこと、九重大橋関連の宿泊客はかなりあるとの話だった。今の観光協会長はやはり女性で、玉の湯旅館の娘さんで、桑野和泉さん、二代続いて女性、観光協会事務局の米田さんは溝口久さんの後任、就任十年目となる、着任当時と比べるとかなり落ち着いた感じ、公募で都庁の職員を退職しての意気込み、自信に溢れていた、
由布院繁栄の基礎を築いた、中谷さん、溝口さん、志手前観光協会長、息子さん、米田さん新江さん、いずれも、落ち着いた独特の語り口、過去の経過を伺えば皆さん同じ内容を話し、こよなく由布院を愛している、まったく関係者がひとつになっている統一性を感じる、お客様の来ない創業当時は毎晩のように旅館に夫婦で集まり、なにごとにつけ話し合い、解決し、由布院のありようを探ってきたお話を伺いました。
宿泊料金は一泊二万円以上の旅館が半分以上、団体客を受ける旅館は二軒、それも一寸だけ、一泊五万円で連日満員の旅館もある、泊まった宿も定員利用で一泊二万円から三万円の宿、この内容、この施設でどうしてこの金額が取れるのか、これも由布院ブランドか 永遠の課題 失礼 (人を癒す空間って何かと考えると由布院の雑木を主体とした自然志向、古民家調の大らかなつくりであって、決して数奇屋に見る隙が無く意図を持った緊張感ある空間ではないことに気づく)
※写真は夢想園の前菜 亀の井別荘のまちづくり作戦小屋

このホテルの会長であり今年の六月まで由布院の観光協会長であった志手淑子さんと社長であり、観光協会の専務理事を務める娘婿の史彦さんより現状を伺う。
日帰り観光客は300万人から400万人、宿泊は90万人、一日収容は5,000人とのこと、九重大橋関連の宿泊客はかなりあるとの話だった。今の観光協会長はやはり女性で、玉の湯旅館の娘さんで、桑野和泉さん、二代続いて女性、観光協会事務局の米田さんは溝口久さんの後任、就任十年目となる、着任当時と比べるとかなり落ち着いた感じ、公募で都庁の職員を退職しての意気込み、自信に溢れていた、
由布院繁栄の基礎を築いた、中谷さん、溝口さん、志手前観光協会長、息子さん、米田さん新江さん、いずれも、落ち着いた独特の語り口、過去の経過を伺えば皆さん同じ内容を話し、こよなく由布院を愛している、まったく関係者がひとつになっている統一性を感じる、お客様の来ない創業当時は毎晩のように旅館に夫婦で集まり、なにごとにつけ話し合い、解決し、由布院のありようを探ってきたお話を伺いました。
宿泊料金は一泊二万円以上の旅館が半分以上、団体客を受ける旅館は二軒、それも一寸だけ、一泊五万円で連日満員の旅館もある、泊まった宿も定員利用で一泊二万円から三万円の宿、この内容、この施設でどうしてこの金額が取れるのか、これも由布院ブランドか 永遠の課題 失礼 (人を癒す空間って何かと考えると由布院の雑木を主体とした自然志向、古民家調の大らかなつくりであって、決して数奇屋に見る隙が無く意図を持った緊張感ある空間ではないことに気づく)
※写真は夢想園の前菜 亀の井別荘のまちづくり作戦小屋
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その2)
温泉街の見学
訪れる観光客のお目当ての金鱗湖周辺は、オフで閑散としていたが、賑わう様子は想像できた、一行の感じは、この程度の池に、なんでこんなにお客様がくるのか?かつての清里、原宿の感じの店がところ狭しと軒をつらねていた、土産飲食店は出入りがあり、正式には何軒あるか判らない、殆どがよそ者らしい、観光協会員には一部加入。
日帰り観光客は300万人以上とのこと、午後4時近くなのに観光バスが数台停車、東名開通の頃の舘山寺温泉の様相、これなら儲かる儲かる。
ちょっと観光の中心より離れている場所は寂れていた、殆どの道路は舗装でなく地道であったかえってこれで良いのか。草庵秋桜〔コスモス〕にて新江さんと懇談
観光協会員は、旅館約50軒、民宿など50軒、外湯等8軒 美術館等40軒 土産店66軒 食堂喫茶90軒 その他観光案内所等10軒 計314軒 その他未加入多数
※写真は、個々の宿、店舗がそれぞれ案内看板を出すと景観が乱れるので、誘導標識として整理して案内することにしている。
玉の湯旅館周辺の田 農家に依頼して稲刈り後にコスモスを植えてもらっている。もちろん良好な景観をつくるため
訪れる観光客のお目当ての金鱗湖周辺は、オフで閑散としていたが、賑わう様子は想像できた、一行の感じは、この程度の池に、なんでこんなにお客様がくるのか?かつての清里、原宿の感じの店がところ狭しと軒をつらねていた、土産飲食店は出入りがあり、正式には何軒あるか判らない、殆どがよそ者らしい、観光協会員には一部加入。
日帰り観光客は300万人以上とのこと、午後4時近くなのに観光バスが数台停車、東名開通の頃の舘山寺温泉の様相、これなら儲かる儲かる。
ちょっと観光の中心より離れている場所は寂れていた、殆どの道路は舗装でなく地道であったかえってこれで良いのか。草庵秋桜〔コスモス〕にて新江さんと懇談
観光協会員は、旅館約50軒、民宿など50軒、外湯等8軒 美術館等40軒 土産店66軒 食堂喫茶90軒 その他観光案内所等10軒 計314軒 その他未加入多数
※写真は、個々の宿、店舗がそれぞれ案内看板を出すと景観が乱れるので、誘導標識として整理して案内することにしている。
玉の湯旅館周辺の田 農家に依頼して稲刈り後にコスモスを植えてもらっている。もちろん良好な景観をつくるため
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その2)
温泉街の見学
訪れる観光客のお目当ての金鱗湖周辺は、オフで閑散としていたが、賑わう様子は想像できた、一行の感じは、この程度の池に、なんでこんなにお客様がくるのか?かつての清里、原宿の感じの店がところ狭しと軒をつらねていた、土産飲食店は出入りがあり、正式には何軒あるか判らない、殆どがよそ者らしい、観光協会員には一部加入。
日帰り観光客は300万人以上とのこと、午後4時近くなのに観光バスが数台停車、東名開通の頃の舘山寺温泉の様相、これなら儲かる儲かる。
ちょっと観光の中心より離れている場所は寂れていた、殆どの道路は舗装でなく地道であったかえってこれで良いのか。草庵秋桜〔コスモス〕にて新江さんと懇談
観光協会員は、旅館約50軒、民宿など50軒、外湯等8軒 美術館等40軒 土産店66軒 食堂喫茶90軒 その他観光案内所等10軒 計314軒 その他未加入多数
※写真は、個々の宿、店舗がそれぞれ案内看板を出すと景観が乱れるので、誘導標識として整理して案内することにしている。
玉の湯旅館周辺の田 農家に依頼して稲刈り後にコスモスを植えてもらっている。もちろん良好な景観をつくるため
訪れる観光客のお目当ての金鱗湖周辺は、オフで閑散としていたが、賑わう様子は想像できた、一行の感じは、この程度の池に、なんでこんなにお客様がくるのか?かつての清里、原宿の感じの店がところ狭しと軒をつらねていた、土産飲食店は出入りがあり、正式には何軒あるか判らない、殆どがよそ者らしい、観光協会員には一部加入。
日帰り観光客は300万人以上とのこと、午後4時近くなのに観光バスが数台停車、東名開通の頃の舘山寺温泉の様相、これなら儲かる儲かる。
ちょっと観光の中心より離れている場所は寂れていた、殆どの道路は舗装でなく地道であったかえってこれで良いのか。草庵秋桜〔コスモス〕にて新江さんと懇談
観光協会員は、旅館約50軒、民宿など50軒、外湯等8軒 美術館等40軒 土産店66軒 食堂喫茶90軒 その他観光案内所等10軒 計314軒 その他未加入多数
※写真は、個々の宿、店舗がそれぞれ案内看板を出すと景観が乱れるので、誘導標識として整理して案内することにしている。
玉の湯旅館周辺の田 農家に依頼して稲刈り後にコスモスを植えてもらっている。もちろん良好な景観をつくるため
2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その1)
昨年12月に舘山寺温泉観光協会の面々が
由布院、長湯温泉、そして九重の大吊橋へ視察に
行かれました。
視察先の紹介、宿の手配をお手伝いしたので
その時の報告をくださいました。
少し加筆修正した報告書を参考までにお送りします。
由布院温泉
交通アクセス
博多より、JR九州〔由布院の森号〕にて約二時間、車内はレトロムードに統一され、いかにも、和風、安らぎの温泉観光地へのアクセスとしては充分に演出されている、車内のサービスもいたれりつくせりで、女性のガイドが同乗し、案内はもちろん、写真撮影を手伝ったり、食堂車から生ビールも運んでくれる、聞くところによると、普通は一時間半のところ、あえて二時間に所要時間を延ばし、ところどころの見所ではスピードを緩めガイドがあり、この列車専用の、新江憲一さんプロデユースのお弁当とか、ジェラードが用意され、オリジナルあんかけ焼きそばまであった。(新江憲一:由布院の料理人 昨年まで由布院を離れイタリアの日本レストラン売り上げ倍増の依頼を受け、3年で?目標達成し帰国、料理人でありながら、調理場の意識改革、レベルアップ、もてなしの場をプロデュースできる類まれな人、40代前半。由布院の畑と旅館料理場を結びつけた功労者。)
由布院駅構内には足湯があり、改札の柵は無く自由に出入りでき、いかにも開放感を利用客に感じさせる心配り、駅舎内には無料の美術館が併設され、駅を出ると正面に由布岳がまじかに迫る演出、静岡クランシッブを設計した磯崎新の設計、この美術館への画家の展示は抽選で、かなり先までイッパイとのこと。(改札を設けないのはなぜか、人をお迎えする場にバリアはないのは当然でしょう。)
※写真は磯崎新設計の由布院駅舎
由布院、長湯温泉、そして九重の大吊橋へ視察に
行かれました。
視察先の紹介、宿の手配をお手伝いしたので
その時の報告をくださいました。
少し加筆修正した報告書を参考までにお送りします。
由布院温泉
交通アクセス
博多より、JR九州〔由布院の森号〕にて約二時間、車内はレトロムードに統一され、いかにも、和風、安らぎの温泉観光地へのアクセスとしては充分に演出されている、車内のサービスもいたれりつくせりで、女性のガイドが同乗し、案内はもちろん、写真撮影を手伝ったり、食堂車から生ビールも運んでくれる、聞くところによると、普通は一時間半のところ、あえて二時間に所要時間を延ばし、ところどころの見所ではスピードを緩めガイドがあり、この列車専用の、新江憲一さんプロデユースのお弁当とか、ジェラードが用意され、オリジナルあんかけ焼きそばまであった。(新江憲一:由布院の料理人 昨年まで由布院を離れイタリアの日本レストラン売り上げ倍増の依頼を受け、3年で?目標達成し帰国、料理人でありながら、調理場の意識改革、レベルアップ、もてなしの場をプロデュースできる類まれな人、40代前半。由布院の畑と旅館料理場を結びつけた功労者。)
由布院駅構内には足湯があり、改札の柵は無く自由に出入りでき、いかにも開放感を利用客に感じさせる心配り、駅舎内には無料の美術館が併設され、駅を出ると正面に由布岳がまじかに迫る演出、静岡クランシッブを設計した磯崎新の設計、この美術館への画家の展示は抽選で、かなり先までイッパイとのこと。(改札を設けないのはなぜか、人をお迎えする場にバリアはないのは当然でしょう。)
※写真は磯崎新設計の由布院駅舎

2008年01月21日
由布院・長湯・九重大吊橋視察報告(その1)
昨年12月に舘山寺温泉観光協会の面々が
由布院、長湯温泉、そして九重の大吊橋へ視察に
行かれました。
視察先の紹介、宿の手配をお手伝いしたので
その時の報告をくださいました。
少し加筆修正した報告書を参考までにお送りします。
由布院温泉
交通アクセス
博多より、JR九州〔由布院の森号〕にて約二時間、車内はレトロムードに統一され、いかにも、和風、安らぎの温泉観光地へのアクセスとしては充分に演出されている、車内のサービスもいたれりつくせりで、女性のガイドが同乗し、案内はもちろん、写真撮影を手伝ったり、食堂車から生ビールも運んでくれる、聞くところによると、普通は一時間半のところ、あえて二時間に所要時間を延ばし、ところどころの見所ではスピードを緩めガイドがあり、この列車専用の、新江憲一さんプロデユースのお弁当とか、ジェラードが用意され、オリジナルあんかけ焼きそばまであった。(新江憲一:由布院の料理人 昨年まで由布院を離れイタリアの日本レストラン売り上げ倍増の依頼を受け、3年で?目標達成し帰国、料理人でありながら、調理場の意識改革、レベルアップ、もてなしの場をプロデュースできる類まれな人、40代前半。由布院の畑と旅館料理場を結びつけた功労者。)
由布院駅構内には足湯があり、改札の柵は無く自由に出入りでき、いかにも開放感を利用客に感じさせる心配り、駅舎内には無料の美術館が併設され、駅を出ると正面に由布岳がまじかに迫る演出、静岡クランシッブを設計した磯崎新の設計、この美術館への画家の展示は抽選で、かなり先までイッパイとのこと。(改札を設けないのはなぜか、人をお迎えする場にバリアはないのは当然でしょう。)
※写真は磯崎新設計の由布院駅舎
由布院、長湯温泉、そして九重の大吊橋へ視察に
行かれました。
視察先の紹介、宿の手配をお手伝いしたので
その時の報告をくださいました。
少し加筆修正した報告書を参考までにお送りします。
由布院温泉
交通アクセス
博多より、JR九州〔由布院の森号〕にて約二時間、車内はレトロムードに統一され、いかにも、和風、安らぎの温泉観光地へのアクセスとしては充分に演出されている、車内のサービスもいたれりつくせりで、女性のガイドが同乗し、案内はもちろん、写真撮影を手伝ったり、食堂車から生ビールも運んでくれる、聞くところによると、普通は一時間半のところ、あえて二時間に所要時間を延ばし、ところどころの見所ではスピードを緩めガイドがあり、この列車専用の、新江憲一さんプロデユースのお弁当とか、ジェラードが用意され、オリジナルあんかけ焼きそばまであった。(新江憲一:由布院の料理人 昨年まで由布院を離れイタリアの日本レストラン売り上げ倍増の依頼を受け、3年で?目標達成し帰国、料理人でありながら、調理場の意識改革、レベルアップ、もてなしの場をプロデュースできる類まれな人、40代前半。由布院の畑と旅館料理場を結びつけた功労者。)
由布院駅構内には足湯があり、改札の柵は無く自由に出入りでき、いかにも開放感を利用客に感じさせる心配り、駅舎内には無料の美術館が併設され、駅を出ると正面に由布岳がまじかに迫る演出、静岡クランシッブを設計した磯崎新の設計、この美術館への画家の展示は抽選で、かなり先までイッパイとのこと。(改札を設けないのはなぜか、人をお迎えする場にバリアはないのは当然でしょう。)
※写真は磯崎新設計の由布院駅舎
