2011年10月26日

おもてなし経営




日経ビジネスを読んでいたら、気になる記事があった。
「おもてなし経営」の著者の都田建設の蓬台社長のインタビュー記事だ。
小生の住む浜松市にある住宅建設会社で、時折見る新聞折り込み広告
が気になっていた。その都田建設が日経ビジネスに登場だ。

「おもてなし経営」は美しい、でも顧客との距離が難しいのでは?
の質問に対し、都田建設ではお客に対し「やらないこと」を明確にしている。
これがない限り、ホスピタリティーやおもてなしの経営はできない。
例えば、契約前に見積もりやプランは出さない。他社と見積もりを出し合って
競っている限りは、受注に至らないお客に対しエネルギーの大半を使わざるを
得なくなる。我々は経営理念をお伝えし、共感しあえる方とだけ付き合う。
受注後は全身全霊をかけて仕事をする。契約前からやらないことを明確にすること
で、お客と対等な関係を作ることができる。

思わず唸ったと同時にみんなに伝えたく思った。
他に県内では沼津市にある平成建設が有名だ。
『高学歴大工集団』がウリだ。大学卒業の社員を大工として採用し、
設計から施工管理、型枠、大工、メンテナンスまで外注に頼らず、自社の職員で賄っている。
考える優秀な職人に良質な住宅の建築と伝統技術の継承を託す。
いずれも平成になって伸びている住宅建設会社だ。

※写真は吉田五十八の建築美学の到達点といえる1969年竣工の岸信介邸と、
厚かましく1981年竣工の小生設計の拙宅です。






  


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2011年10月24日

アメリカポートランドの旅(その18)




10月5日に今回のポートランドの旅を企画された松本大地さんを掛川にお呼びして
「人と街の商いのリンケージによる地方都市の賑わいづくり」と題して、学びそして
交流する会が開かれた。ポートランドのおさらいとともに、いくつかの気づきが
あった。

 「地域に元気がないと人が感じる」その要因は、?商 店街など中心部の衰退 
?子どもや若い人の減少 ?地域産業の衰退 と続く。いまや該当しない地方都市
を探すのが難しい。 

人間本来の心豊かな生活は、何にあるのだろうか?都会での孤独な暮らし、一方
地方では
取り残された高齢者が増える。モノをいくら買っても満たされない。
必要とされているものはコミュニケーションだ。このコミュニケーションには感
情や感性のやりとりがあり、
日常生活の充実をもたらす。

人の欲求は生理的⇒安全⇒所属⇒尊重⇒自己実現⇒社会交流へと段階があがっていく。
最終の「社会交流欲」とは、自分も大切だが、自分が暮らす社会や環境も大切で
あり、その社会が向上発展するよう自らも参画意識を持って交わることへの欲求である。
3・11以降、地域共生の場を求め、周囲との絆を深めるようになった。
モノの所有よりも、心の満足や体験価値を求めつつ、同じ価値観のある人との交
流など、よりよい暮らしをどうつくっていくかの選択肢が台頭してきた。

そこで、ポートランドの生活の質の向上を目指した都市開発の取組の話になって
いく。(つづく)

※写真は夜のポートランドへ ジャズライブハウスであっと驚く松本大地さん
  


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2011年10月21日

メタボリズムの未来都市展(その3)




 広島で丹下健三が設計した広島ピースセンターを30年ぶりに目にした。確かに原爆
ドームへ視線を導き、歴史の記憶を継承するという趣旨が伝わってくる。
原爆により市街地は一瞬にして破壊され、1945年末までに13万人もの人命が奪われ、
生存者もケロイド、放射線後遺症 への不安に生涯苦しみ、市民が経験した苦痛は
人類史上類を見ないものであった。

  丹下も参画した戦後の都市計画により100m幅の平和大通りには高層ビル建設され、
河川が多く、そこが水と緑の帯になっていることもあり環境都市であることを感じる。
都市高速道路、ポートランド見た車両とほぼ同じLRTが走り、路線バスも多い。
中国・四国地方を代表する素晴らしい都市になっている。

 話をもとに戻す。森美術館の「メタボリズムの未来都市展」は4つのセクションに
分かれていて、丹下健三の戦災復興計画「広島ピースセンター」から始まる
メタボリズムの誕生を第1セクションとし、「メタボリズムの時代」、「空間から環境へ」
「グローバル・メタボリズム」と続く。

 セクション2では何といっても黒川紀章の銀座にある「中銀カプセルハウス」が
まさに新陳代謝建築物として印象的だ。また、1956年の浅田孝+竹中工務店の南極
観測隊昭和基地は工場で作ったパーツを現地で組み立てるプレファブ建築の誕生も
気なる。

セクション3は「人類の進歩と調和」の1970年大阪万博が舞台となる。仮設建築だ
けに思い切った提案が形になって現れた。
万博以降、丹下を始めとするメタボリズムの建築家たちは海外に活躍の場を広げて
いくことになる。東京湾を横断する海上都市や立体都市など当時は図面や模型でし
か表現できなかったものがCG映像で再現されている。
とにかく一見の価値がある展覧会である。(おしまい)

  


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2011年10月19日

久保田利伸ツアー「GOLD SKOOL」



由布院での二年目の正月を前に皆に賀状を出した。
そこに「とめどもなく楽しくて やるせないほど切なくて」と書いた。
残り3ヶ月の由布院での仕事と生活と周りにいる
みんなとのことを思うと、それが率直な気持ちだった。

この「とめどもなく楽しくて やるせないほど切なくて♪」は久保田利伸の
「LA LA LOVE SONG」の一節だ。
http://www.youtube.com/watch?v=OHugWXF2lPU&feature=related

今晩、浜松のアクトシティ大ホールで久保田のコンサートがあった。
ギター、ベース、ドラム、キーボード、シンセサイザー、DJに加え
ダンサー3名に、バックコーラス3名、本人加え総勢13人によるショーが
繰り広げられた。
「ブラックミュージックのパイオニア」とも云える彼の音楽スタイルに、
沿うように黒人のドラマーにダンサー、コーラスが印象的だ。
8年ほど前の浜松でのコンサートはもっと黒人一色だった。

デビュー25周年、ますます油がのってきている。
小生設計の拙宅も25周年、こちらはうまく枯れてきている。
お楽しみは、まだまだこれからだ。

※写真はポートランドのJAZZライブ レイパーカーJRを髣髴させるボーカル


  


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2011年10月13日

大久保フォルクローレフェスティバル



今年4月から藤枝市にある中部地域支援局に勤めてから、藤枝・焼津に知り合いが
急速に増えています。

中でも小林浩樹さんが面白い。彼はJICAで中米パナマに派遣され、現地で農協育成
事業に従事し、帰国後、大久保グラススキー場・キャンプ場の活性化のためのイベント
をプロデュースし、新たな交流を生み出している。
さらに、藤枝市瀬戸谷地域の名物「せとやコロッケ」を造りだし、ヒット商品になっている。

その彼が企画するイケテルイベントが、
山々に響き渡る音楽と手作り料理や体験プログラム「大久保フォルクローレフェスティバル」だ。

 アンデスの風景にどこか似ていることから2005年にスタート。今年も大久保キャンプ場で開催される。
 大久保の山々に響きわたる音楽と、手作り料理や体験が一度に楽しめます。是非参加してみてください。
 
■イベント名  大久保フォルクローレフェスティバル'11
■開催日・時間 平成23年10月16日(日)
         開場正午 フェスティバル午後1時〜4時
■開催場所 大久保キャンプ場(藤枝市瀬戸ノ谷11029)
■イベント概要
 ●音楽演奏
  ・フォルクローレ(日本を代表するサンポーニャ奏者岡田浩安氏ほか)
  ・藤枝太鼓
 ●フードエリア
  ・大久保ブース(せとやコロッケ、ジャンボ串焼き、しし汁、朝ラーメン等)
  ・伊久美ブース(ヤマメの塩焼き、おやき、伊久美ぎょうざ等)
  ・居酒屋ブース(福島郷土料理、大久保しいたけステーキ、せとやプリン等)
  ・ツイーツブース(大久保フェスオリジナルまんじゅう等)
 ●体験・展示エリア
  ・ロウソクを再利用したエコキャンドルづくり
  ・農産物のペーパークラフト教室    
  ・藤枝市・島田市中産間地域の活動紹介
■料 金 入場料(運営協力金)1,000円 高校生以下無料          
■主 催 大久保フォルクローレフェスティバル'11実行委員会




  


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2011年10月10日

国体アーチェリー競技会





国体山口大会が閉幕しました。

先週の7,8,9日に次女が出場するアーチェリー競技会
少年少女の部の応援に家族一同で応援に行ってまいりました。
広島に前泊し、翌朝レンタカーを借りて一路周防大島へ向かいました。
島に入れば、国体ののぼり旗が秋の快晴の空にたなびいていました。
会場の周防大島町陸上競技場に着いたときには、すでにゲームはスタートしてい
ました。
成績表を見れば静岡県は2位、このまま決勝ラウンドに行くことが決まったのか
とかと喜んでいたら、まだ1回目を打ち終えたばかりの成績でした。
70mの距離を1回に6射づつを6回繰り返し1戦目が終わります。これを2戦。
何と72射もするのです。

競技場いっぱいに並んで固唾を呑んで矢を放していきます。70mも先にある的に
矢が当たっているかどうかは望遠鏡でしか確認できません。
この距離だと矢は放物線を描き、時々刻々に変化する風の影響も強く受けます。
精神の集中だけでは、どうにもうまくいかないようです。

最初の2位が結局9位にまで落ち、上位8チームに入ることができず涙を飲む事に
なりました。3人一組の団体戦ですから、各人の得点の合計が成績になるので、
最低点だった次女の姿を見るのはどうにも辛かったのです。

この辛さは椎木町長、新山議員、松本政策企画課長、舛本商工観光課主幹がわが
家族をもてなしてくださった昼食会で癒してもらうことになりました。

周防大島のことは改めて書きたく思います。民俗学者宮本常一先生のことも含め
てね。

多くの方々からメールを通じてのご声援ありがとうございました。






  


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2011年10月06日

アメリカポートランドの旅(その17)






ファーマーズマーケットの後は、サターデーマーケットだ。
トム・マッコール・ウォーターフロントパークが会場で3月からクリスマスまでの
毎週土日に開かれ、250程のアート&クラフトの店が並ぶ。
アーティストとの交流を楽しみながらお好みのアートを探している。

掛川市遠州横須賀街道のちっちゃな文化展(10/21,22,23)が、会場を個々の人家にしてアーティストが
自信作を並べる。民家の座敷が展示スペースだから、その場を活かしての展示になるから、
作家の力量が問われる。
もっともこちらはマーケットではないので積極的な作品の販売はない。
(つづく)

8,9,10日国体山口大会で次女が国体に静岡県代表として出場します。
アーチェリーの少年少女の部です。家族挙げて応援に行ってきます。

  


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2011年10月03日

アメリカポートランドの旅(その16)







 

7月9日(土)は楽しみにしていたポートランド州立大学でのファーマーズマー
ケットの日だ。毎週土曜日に開かれている。ただし冬場はお休み。
ローカルの新鮮な野菜や果物、花や植物、手作りのパンやピザなど、生産者
による直売の露店がずらりと軒を連ねる。


 ポートランド市内では主に6つのファーマーズ・マーケットが開催されてお り、
それぞれ集まる人や雰囲気に特徴がある。ポートランドに住む 人々の素顔の生活
を垣間見ることができる。
地域のトップシェフによる料理の実演や子供たちの料理教室が開かれていたりする。


ここでのテント、野菜の見せ方、食の提供 の仕方がかっこいいのだ。
日本でも六本木など都会のマルシェは随分とおしゃれだけど、地方はまだまだだ。

加えて、 ちょっとしたスペースでは民族舞踊や音楽の演奏が即興でされていく。
ステージを設けて次々に演者が出てくるイベントが多いが、会場のところどころで
さらっと出没するこのスタイルがいい。
浜松市での「やらまいかミュージックフェスティバル」(10/8,9)や
静岡市での「大道芸ワールドカップ」(11/3,4,5)がこの形で、
街全体に祭りの雰囲気ができあがる。(つづく)


  


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2011年10月02日

メタボリズムの未来都市展(その2)





六本木ヒルズの53階に森美術館がある。
建築家たちが夢見た理想の都市像「メタボリズム」を振り返る、初の展覧会
とのコピーで前日の9月17日に始まったばかりのこの都市展を案内していただいた。
1960年代に、丹下健三に影響を受けた黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、磯崎新を中心に
展開した運動の名称が「メタボリズム」だ。
日本の近代建築の礎となった煌く建築家が勢ぞろいだ。
新陳代謝を意味することばが意味するわかりやすい建築が黒川紀章デザインの
銀座にある中銀カプセルタワーだ。コアの柱に部屋(カプセル)が張り付いていて、
そのカプセルを増やしたり、交換することも、技術的には可能な設計になっている。
実際には、一度も交換されたことはない。それどころか取り壊されるかも

展示の最初に目に飛び込んでくるのは、丹下健三の広島平和記念資料館だ。
ピロティー、水平、縦格子 ちょっと正倉院を近代的にデザインした感がある
当時としては超斬新なデザインである。
その手書きの原図が展示してあったから驚きだ。

残留放射能の危険性があるのに係わらず、丹下は東大の研究室のスタッフととも
に1946年の夏に広島入りし、都市計画業務に従事し、広島市主催の広 島平和記念公園
のコンペを勝ち取る。
広島市を東西に貫く平和大通り(幅 員100m、長さ4Kmにわたる道路)と直交す
る南北軸線上に、慰霊碑と原爆ドーム を配する計画案が、コンペで高く評価された。

広島の復興計画において、この市街地を十字型に貫く都市軸を通したことで、
第二次世界大戦後の広島市の骨格を作ったのは丹下と言える。
またこれにより、当時は単なる一廃墟に過ぎなかった原爆ドームにスポットライ
トを当て、中心性を持たせ広島再建のランドマークとした。
これが、戦後の建築・都市デザインに大きな影響を与えることになる。
うーん天才は違う。

(つづく)



  


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