2011年10月02日

メタボリズムの未来都市展(その2)





六本木ヒルズの53階に森美術館がある。
建築家たちが夢見た理想の都市像「メタボリズム」を振り返る、初の展覧会
とのコピーで前日の9月17日に始まったばかりのこの都市展を案内していただいた。
1960年代に、丹下健三に影響を受けた黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦、磯崎新を中心に
展開した運動の名称が「メタボリズム」だ。
日本の近代建築の礎となった煌く建築家が勢ぞろいだ。
新陳代謝を意味することばが意味するわかりやすい建築が黒川紀章デザインの
銀座にある中銀カプセルタワーだ。コアの柱に部屋(カプセル)が張り付いていて、
そのカプセルを増やしたり、交換することも、技術的には可能な設計になっている。
実際には、一度も交換されたことはない。それどころか取り壊されるかも

展示の最初に目に飛び込んでくるのは、丹下健三の広島平和記念資料館だ。
ピロティー、水平、縦格子 ちょっと正倉院を近代的にデザインした感がある
当時としては超斬新なデザインである。
その手書きの原図が展示してあったから驚きだ。

残留放射能の危険性があるのに係わらず、丹下は東大の研究室のスタッフととも
に1946年の夏に広島入りし、都市計画業務に従事し、広島市主催の広 島平和記念公園
のコンペを勝ち取る。
広島市を東西に貫く平和大通り(幅 員100m、長さ4Kmにわたる道路)と直交す
る南北軸線上に、慰霊碑と原爆ドーム を配する計画案が、コンペで高く評価された。

広島の復興計画において、この市街地を十字型に貫く都市軸を通したことで、
第二次世界大戦後の広島市の骨格を作ったのは丹下と言える。
またこれにより、当時は単なる一廃墟に過ぎなかった原爆ドームにスポットライ
トを当て、中心性を持たせ広島再建のランドマークとした。
これが、戦後の建築・都市デザインに大きな影響を与えることになる。
うーん天才は違う。

(つづく)



  


Posted by Qさん 大魔人 at 19:07Comments(0)