2018年12月15日

式根島への旅(その5)



作業の後は誰も使っていないテニスコートに向かった。テニス道具は、一式借りられる。

30代の頃、テニスに夢中だったが、その後すっかりご無沙汰、

かたや厚正さんは80歳も何のそのテニスは日常的にされている。この日は風が強くてテニスどころでなく、

こちらの鈍った腕もあって完全な「草テニス」だった。ただ運動にはなった。

管理棟に戻ると「お茶を飲んでけ」と勧められ、出されたお菓子が月餅とゴディバのチョコレート。

ありがたく頂戴した。話によれば、来年度にはテニスコートに手を入れるとのこと、

オムニコートになることを期待して、「また来年のこの時期に来よう」と厚正さんと程ほどの固い約束をした。

テニスの後は前日同様、島内散策。人にすれ違うことはめったになかったが、突如現れた若き女性に向かって

「ビックリしたなぁもう、森の精かと思った」と話掛けたら、「私日本語よくわからない」と言われた。

化粧は中国歌劇団風、唇となんと歯茎にピアス、髪型も変わっている。服も色鮮やか。本人いわく

「シンがポーリアンで、日本の島巡りが大好き、神津島に4泊して、式根島に来た。バイクを借りて島内を回っている。

仕事はグラフィックデザイナーから今では編み物アートをしている」とのこと。

「シンガポールにはない静けさや魚の食がお気に入り」とのこと。「日本人でも一人で歩くには少し不安に

なるような人気のない林間の道をよう歩くなぁ」と、厚正さん共々感心しっ放し。写真に撮りたかったが、

スマホを宿に置いてきたことに気づき大きく後悔した。

別れを惜しみつつ、この日最後の目的地の地鉈温泉に向かった。夕暮れ時に誰もいないものと思っていたが、

10人を越す若い男女がいて、温泉に浸かることなく足湯したり手湯したりしていた。

干潮で海水の入込が無いため、沸き出す高温の温泉がそのままに熱くて入ることができる湯壺を

見つけ出すのに難儀した。慣れた厚正さんが見つけ出した湯壺に身を投じた。湯の花が多いので、

からだに付いたそれを落とすために厚正さんは12月の海に入っていった。小生はもちろんしません、鉄人の真似は。

宿に帰ると、待ってました初物の伊勢海老。鍋と刺身の二重攻撃に撃沈、大きいから海老味噌も堪能、

さらにはアカハタの煮付けに釣り上げたぶりの刺身。式根島に来たことの喜びを噛み締めていただいた。

鍋に残った海老の出汁が効いた濃厚な汁をご飯に掛けて締めとした。翌朝、また海老を網から外し、

網を整える作業のお手伝いをして、網にかかったオキナヒメジを三匹もらって11時30分発の船に乗って帰路に着いた。

帰ったら煮魚にして式根島を思い起こしつつ一杯やろう。船中で来年の予定を厚正さんとすでに立てた。

ご一緒したい方はお早めにお申し出ください。

式根島の温泉と伊勢海老、テニス、絶景そして民宿「池松」が貴方を待ってます。(おしまい)    


  


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2018年12月12日

式根島への旅(その4)



入浴後、宿に戻ってのお楽しみは、もちろん夕食だ。この夜はカンパチの刺身、

イサキの煮付け、タカベの焼魚そしてリクエストのクサヤだ。クサヤ以外は言うに及ばず美味い。

クサヤは少し口にして厚正さんに渡した。たらふく食べて呑んで、21時頃には床の中、

おかげで4時には目覚め、数日前に視察した岩手県紫波町オガールから学んだことを小山町

に落とし込んだ企画のキーワードを書き起こした。翌朝、朝食後に待っていたのが、

解禁初日に水上げした伊勢海老を絡み付いた網からはずすことだった。ひげ、目、足

をとること無くはずすことが肝要だ。それらが無いと価値が大きく下がるからだ。

専用の網を引っかける鍵の手の道具を使って外していく大物は結構厄介、

網に捕まった後の海老の苦闘が分かる。外した後はよじれた網を整え漁ができるようにする。

海老を外す作業よりも時間を要した。これをまた海に出かけ網を下ろす。この繰り返しが18日間続く。

7人掛かりで10時過ぎに終えることができた。早く終えたことを喜んでもらえた。

その後はティータイム、我らの手土産の次郎柿、富士山頂上まんじゅう、蒸かし芋が並んだ。

我らはここぞとビールを所望、作業後の格別の一杯を喉から落とし込んだ。(つづく)





  


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2018年12月11日

式根島への旅(その3)



翌朝、網を上げて民宿庭で網から伊勢海老を外し、よじれた網を整え次の出漁の準備する作業が
待っていることをこの時はまだわかっていなかった。厚正さんからの事前説明は今回に限らず常に無いのである。

温泉後は昼食を買いにお店に入った。式根島では人口580人に関わらず小さいけどスーパーが5軒ほどある。
昭和50年代には民宿105軒、人口1000人超え、今でも50軒程の民宿は健在、夏場は大いに賑わうとのこと。

確かに夏場のみ営業するであろうお店に何件か目にしている。入ったお店で目にした「たたき丸」な、なんだこれは?
「たたき」とは島の近海で獲れたムロアジ等をすり身に調味料と重曹を入れたもの、中に漬物やハムとチーズ等を
個々に入れた真ん丸のお握りに「たたき」を回りに付けて、揚げたものだった。なかなかイケる。
3個買って、最後のひとつを手にしたときだ。クサヤと包みに書かれていた。
確かに臭い、どこかで嗅いだことがある代物だ。そ、そうだ、台湾の臭豆腐だ。
知らなければ、腐っているものと捨ててしまいそうな臭いだ。宿の夕食にクサヤを頼んだことを後悔した。
やみつきになる味と言われたりもするが、ちょいと小生には無理であった。そのたたき丸を食べながら眼下に
見たのが泊海水浴場、美しい入り江だ。この時期が泳いでいる人はいないが、シーズンであれば相当に人を集めるだろう。

前述した通り、トイレ、シャワー、バリアフリーと快適な海水浴場になっている。その後は、厚正さんが20回近く通う
ことだけあって勝手知りたる林間散策コースをすたすたと進み、「神引展望台」に出た。周囲に高木は無くハイビャクシン
がある程度で、遠く富士山も眺めることができる。絶景ポイントだ。翌日に「唐人ジシロ」と「隈の井」という同じく
死ぬまで1度は訪れたいと言っても過言でないビューポイントに行ったが、台風並みの強風にあってゆるりと
景色を楽しむことができなかった。そんな時だからこそ荒れ狂う海を眺めるのも一興かな。

林間コース以外の普通の道を歩くのも快適だ。二車線しっかりあって車は来ない。
締めの温泉に「憩いの家」に入ることにした。大人200円だ。泉源は地鉈温泉と同じだ。(つづく)


  


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2018年12月11日

式根島への旅(その2)



厚正さんが発行する「雑報」の中にも何度か登場している海辺というか海の中にあるような温泉だ。

地鉈の名が示すように地面を鉈で割った先に温泉がある。トコトコと海岸に降りていくと、

岩場がつくる溜りを見ると温泉がブクブクと涌いている。そこに海水が波として流れ込み、

いい湯加減になっている。誰もいなかったが、水着着用は必須。海パン一丁で早速、いい湯加減の湯壺を探して入る。

海水の満ち引きで湯の温度が次々に変わるのが面白い。体が暖まれば、海で泳ぐのも一興だろう。

厚正さんは当たり前の顔して初冬の海に出ていった。翌日も行ったがこの時は干潮で湯壺に海水が入ってこないので、

どこも熱過ぎて入れず、限られた狭い湯壺の中に二人寄り添うように入った。次は足付温泉に向かった。

ここは名の通り足湯が適当かな?入るにはぬる過ぎる。ここは見るだけで次に松が下雅湯に向かった。

ここは港そばで入りやすい温泉だ。子供たちも安心して入る浅いプール型で、木のデッキもトイレもシャワーも用意されている。

これら温泉は全て無料に関わらずだ。流石は東京都の島である。この日は伊勢海老の解禁日で漁船が出港を待っていた。

12時30分を過ぎた頃、10槽程が一斉に出ていった。遠くへ行くのかと思いきや岸近くに網を入れていた。

この中に泊まっている民宿池松の主もいた。(つづく)


  


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2018年12月09日

式根島への旅(その1)



利島に続く伊豆諸島への旅で、式根島に行くことにした。利島同様、農水省OB御年80歳の

鈴木厚正さんの誘いによるものだ。

利島同様4人程度のグループが良いかなと、知人・友人を誘ってみたものの木曜夜発って

日曜夜に帰ってくることに都合がつく人がおらず、結局厚正さんと二人だけで行くことになった。

今回の旅はとにかく面白かった。二人だけかぁと多少の躊躇があったが、せっかくの旅の機会を逃してはいけない。

行ったことは大正解だった。11月29日22時竹芝発の船に乗り込んだ。二等客席和室、雑魚寝フロアーだ。

幸い客が少なかったので良かったが、並べてある枕の通りに寝るとなると、富士山の山小屋状態だ。

用意してきた日本酒、焼酎を飲み23時前には就寝。伊豆大島、利島、新島を経て式根島に着いたのは

翌日9時30分になっていた。Yシャツ一枚でも暖かく、青空が拡がっていた。

厚正さんが常宿にしている民宿「池松」の主が迎えに来ていてくれた。朝食を食べていないことを

知ってか知らぬか、部屋のテーブルには島海苔ミニ弁当とコロッケサンドが用意してくれてあった。

ありがたく頂戴した後、早速に外に出た。まずは厚正さん一押しスポットの地鉈温泉を目指した。

道中に「温泉の湯加減」と掘られた古めかしい手が入る程の穴があるではないか?

手を入れると暖かい、確かに温泉の暖気が上がって来ているのだ。

ここで、海岸の温泉まで下っていくか否かを決断するというのである。(つづく)




  


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2018年12月05日

2018台中フローラ世界博覧会への旅(その7)



この日の夜は台湾イベント発展協会の頼名誉理事長を筆頭に9名の

台湾の方々が懇親会を持ってくれた。もちろんカンペイの嵐になるが、

赤ワインで乾杯なのだ。今どき紹興酒は宴席で呑まないとのこと。

今宵はこれまでとホテルに戻ることにしたが、足つぼマッサージぐらいはしてみようと店に入った。

30分2000円程、もうかつての安さは無い。日本を除き海外は経済発展と共に物価が上がって

いるからのことで、特に日本人価格と言うことではない。酔いも醒め気味ではあったが、足取り軽くホテルに戻った。

台中フローラ世界博の会期は来年4月24日までだ。寒い日本を抜け出し、

台湾の今を観てくることを強くお勧めしたい。(おしまい)



  


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2018年12月04日

2018台中フローラ世界博覧会への旅(その6)



三日目のハイライトは安藤忠雄設計のアジア現代美術館と伊東豊雄設計のオペラハウスだ。

大学内に大型美術館があることが、極めて稀。氏のコンクリートの美学はここでも十分に

発揮されている。今回はガラスのカーテンウォールが目だつため、軽やかな感じだ。

三角形を組み合わせた平面プラン、シャープな水平線、場を区切り場面転換を謀る壁。

存分に安藤ワールドが繰り広げられている。超残念だったのはこの日に限り閉館していたことだ。

次に訪れたオペラハウス台中国家歌劇院は素晴らしかった。

周囲はまさに新都心、看板コテコテの建物が並ぶ旧市街地とは様相を一変する、

しっかりと都市計画されたエリアだ。近くには台中市庁舎がある。

人類が原始に住んだ洞窟と地穴をコンセプトに梁も柱もない構造で、曲面の壁が建物を構成する。

極めて難しく施工の苦労が忍ばれる。現に施工の時に原寸大で検討したことのわかるモデルが

国外に展示されている。コンサートを聴かなくても楽しめる屋上庭園、厳選した商品を売る

ミュージアムショップが入っており、たぐいまれない空間で楽しく豊かな時を過ごすことができる。

村野藤吾賞、ロイター社からは世界9大新ランドマーク建築に選ばれている。

他の8つが何かはわからないし、なぜ10ではないのかな?と凡人は思うのだが。

地域を大進化させることとなったビルバオのグッゲンハイム美術館のような

存在になることを大いに期待したい。(つづく)


  


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2018年12月04日

2018台中フローラ世界博覧会への旅(その5)



三つ目の会場は水辺の花回廊だ。

かつてのとてつもなく汚い河を浄化した水辺を歩いて廻るという会場だ。

中に光のデジタルアートを体感した後、台中の菓子文化を紹介するめぐり逢い館もある。

コース最後に現れる竹の建築にこれまた驚いた。鉄と組み合わせているようなことはない。

純粋に竹と縄で作られている。博覧会の半年期間もてばいいという考えだろうが、

相当にしっかりと作られている。この夜は夜市で皆で夕食をとの予定になっていたが、

夜市では酒は出ない、座る席も少ないことで、地元レストランに行った。

台湾は家出食事を作るよりも年中外食する事が定着しているため、様々な屋台的な店が豊富にある。

この夜は皆でたらふく飲み食いして一人2000円程度だった。(つづく)



  


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