2009年06月18日
知事から
6月17日本日16年間お勤めになった石川嘉延知事が退任されました。
知事にはいくつか想い出があります。
平成9年3月、由布院温泉観光協会長の中谷健太郎さん、旅館組合長の富永等さん
はじめ役員の方々が、私を派遣してくれたことに対して、お礼の挨拶に知事室を訪ねたときの場面。
中遠県行政センターに視察に来られた時に「お!君何やっている?」
「知事、何やっているって?パスポート係ですよ、パスポート係」と答えましたら、
翌日の幹部職員会議で「鯉をたらいに入れておくような人事をするな」と仰ったこと。
そして「NPO推進室」に異動になったときには知事の直接の人事だったと県議から
聞かされました。このNPO推進室で学んだことが、今とても役立っています。
まちづくりには水平関係の対話が欠かせません、その技術をしっかり学びました。
私たち県庁職員に「県庁新聞」の中で下記の言葉を残してくださいました。
「教養あふれる静岡県庁たれ」
この16年間、職員の皆さんには大変お世話になりました。
激動の16年間でしたが、皆さんの奮闘よろしきを得て荒波を
乗り越え、新しい時代に向けての静岡県の基礎づくり、力の向上を
果たすことができました。心から感謝申し上げます。
最後に皆さんに残す言葉として、「教養人たれ」と述べておきたいと思います。
平成になって以降、「教養人」とか「知識人」、「インテリ」といった言葉が死語になりつつあります。
「知識人」という言葉は、かつて人々の「より上の学校で知識を習得したい」という思いを
掻き立て、いわば戦後の高学歴志向をドライブした言葉でした。
ところが、元来知識さえあればよいというものでもなく、ITが発達した今日では、知識を蓄えるより
ネットで調べるほうが早いということもあり、「知識人」という言葉は死語になってしまいました。
さらに、多くの人々は「教養」という言葉を「知識」に重ねて理解しており、「知識人」と同様に
「教養人」という言葉も使われなくなっています。
しかし、「教養人」とは、どのような社会環境の下にあっても常に自分を客観的に観察できる視点と、
そうするだけの基礎的な素養を持っている人のことを言うのであり、広く専門的な知識を身につけただけの
「知識人」とは大きく違うのです。
このことを私はかつて政治学者として名を馳せた丸山眞男氏の講義で聴いたのですが、そのように「教養人」
を定義すると、自分を客観視するという困難な試み古くから様々に取り組んできた先哲の言説を学ぶことの
大切さがよくわかります。
静岡県庁には、是非「教養の人の集団」になっていただきたいと思います。
これは「富国有徳」の「有徳」にもつながります。個人のレベルのみならず、県庁の組織、静岡県そして日本
という国を常に客観視しながら、現在直面する様々なテーマに取組むのが重要なのです。
「教養ある人々」が組織する「教養のある県庁」、「教養あふれる静岡県」に期待します。
期待に応えなければなりませんねえ
※写真は富士山静岡空港内覧会で挨拶する石川知事
Posted by Qさん 大魔人 at
00:01
2009年06月18日
知事から
6月17日本日16年間お勤めになった石川嘉延知事が退任されました。
知事にはいくつか想い出があります。
平成9年3月、由布院温泉観光協会長の中谷健太郎さん、旅館組合長の富永等さん
はじめ役員の方々が、私を派遣してくれたことに対して、お礼の挨拶に知事室を訪ねたときの場面。
中遠県行政センターに視察に来られた時に「お!君何やっている?」
「知事、何やっているって?パスポート係ですよ、パスポート係」と答えましたら、
翌日の幹部職員会議で「鯉をたらいに入れておくような人事をするな」と仰ったこと。
そして「NPO推進室」に異動になったときには知事の直接の人事だったと県議から
聞かされました。このNPO推進室で学んだことが、今とても役立っています。
まちづくりには水平関係の対話が欠かせません、その技術をしっかり学びました。
私たち県庁職員に「県庁新聞」の中で下記の言葉を残してくださいました。
「教養あふれる静岡県庁たれ」
この16年間、職員の皆さんには大変お世話になりました。
激動の16年間でしたが、皆さんの奮闘よろしきを得て荒波を
乗り越え、新しい時代に向けての静岡県の基礎づくり、力の向上を
果たすことができました。心から感謝申し上げます。
最後に皆さんに残す言葉として、「教養人たれ」と述べておきたいと思います。
平成になって以降、「教養人」とか「知識人」、「インテリ」といった言葉が死語になりつつあります。
「知識人」という言葉は、かつて人々の「より上の学校で知識を習得したい」という思いを
掻き立て、いわば戦後の高学歴志向をドライブした言葉でした。
ところが、元来知識さえあればよいというものでもなく、ITが発達した今日では、知識を蓄えるより
ネットで調べるほうが早いということもあり、「知識人」という言葉は死語になってしまいました。
さらに、多くの人々は「教養」という言葉を「知識」に重ねて理解しており、「知識人」と同様に
「教養人」という言葉も使われなくなっています。
しかし、「教養人」とは、どのような社会環境の下にあっても常に自分を客観的に観察できる視点と、
そうするだけの基礎的な素養を持っている人のことを言うのであり、広く専門的な知識を身につけただけの
「知識人」とは大きく違うのです。
このことを私はかつて政治学者として名を馳せた丸山眞男氏の講義で聴いたのですが、そのように「教養人」
を定義すると、自分を客観視するという困難な試み古くから様々に取り組んできた先哲の言説を学ぶことの
大切さがよくわかります。
静岡県庁には、是非「教養の人の集団」になっていただきたいと思います。
これは「富国有徳」の「有徳」にもつながります。個人のレベルのみならず、県庁の組織、静岡県そして日本
という国を常に客観視しながら、現在直面する様々なテーマに取組むのが重要なのです。
「教養ある人々」が組織する「教養のある県庁」、「教養あふれる静岡県」に期待します。
期待に応えなければなりませんねえ
※写真は富士山静岡空港内覧会で挨拶する石川知事
Posted by Qさん 大魔人 at
00:01