2006年03月20日
『ゆふいん建築・環境デザインガイドブック』のお話(その4)
由布院らしい景観を作る屋外広告物を考える会というのを立ち上げました。自分たちで自分たちの店の看板を考えようと。
大きくて派手な看板を出せばお客が来るというものじゃない。湯布院に見合った看板の出し方というものがきっとあるはずだろうと、今湯の坪をモデル地区にして、看板対策をし始めています。
景観というのは、非常に長い取り組みでものを見ていかなければいけない中で、どうやって湯布院らしい景観、湯布院らしい風景というのはどういうものなのかという精神的なものをどうやって後世に伝えていくか。そういうところでしかまちづくり、景観づくりというのは出来ないんだなと思っています。
最後に中谷健太郎さん(湯布院まちづくりのカリスマ的リーダー)のお手紙を紹介します。と小林華弥子さんは淡々と読み始めたが、いけない自分の目が潤むのです。某週刊誌に『行ってはいけないリゾート・温泉』として湯布院が載ったときのお話です。
***8月10日号の特集記事『行ってはいけないリゾート・温泉』を拝読しました。あちこちの方々からお見舞いみたいなファックスが飛び込んできたからです。でも、記事は全く正しいと思います。
まとめて言えば、農村が崩壊していく。それをどうやっても止められないという話に尽きます。瀕死の農村に都市の市場のエネルギーを注射することで、少しは村が元気になるのではないかと思ったのがきっかけですが、そして確かに少しは元気になったのですが、裏目も急速に噴出してきました。
『良いところらしい』といううわさが全国に広がったのです。『田舎道をのんびりと虫の声を聞きながら散歩が出来るところ』。それでお客様が増え続け、それを追って観光資本も殺到したのでした。
私たちは考えられるあらゆる手段で防戦し、村を守ろうとしました。旅館の収容力を自粛し、畜産振興のための牛一頭牧場運動をやり抜きました。
『建築・環境デザインに関するガイドブック』を作って町内全戸に配布し、議会に働き掛けて国の法律よりも厳しい『潤いのある町づくり条例』を通しました。
車に対抗して村道に客馬車を走らせました。毎夏音楽祭や映画祭をやり続けることで、歓楽型観光地のイメージを消し続けてもまいりました。
だけど結果は8月10号でご指摘の通りです。
日本中の農村が確実に滅んでいきます。お金の利潤を追って奔流する世界の資本の流れから、村が自由であり続けることは出来ないのかもしれません。だけど、私と私の仲間たちは、目を覆いたくなるような身辺の状況を相手取って懸命に働き掛け、説得し、戦い続けております。先日、駅のホールに中央の偉い方々をお迎えして、『町づくり観光フォーラム』を催しました。
その席で若者4人が素晴らしいプレゼンテーションをやってのけ、居合わせた聴衆は一様に、湯布院に強力な次世代が生まれ育っていることを実感したことでした。
うれしかったのは彼らが、私たちと同じ悩みや問題をそのまま受け継いでいることでした。むろんその解決のめどはついておりませんし、ひょっとすると永久に解決しないものかもしれません。
しかし彼らの真っすぐな強い視線を私は信じたいと思っています。他に人間が懸命にやることなどありはしないと思うからです。
私たちの戦いにお力をお貸しください。
日本中の田舎が、負けるわけにはいかない戦いを挑んでいるのです。
***
由布院に行くことが決まったとき、知人から「まちづくりのトップランナーと言われる由布院に何しに行くのだ、やるべきことも学ぶことなんかないじゃない」と言われた。
まちづくりに完成もなければ終わりもない、果てしなく悶え苦しむことをみんなと楽しみながらやっていく、ただそれだけ。仕事と学びと遊びが渾然一体となった最も濃縮された時だった。
(おいまい)
※写真は亀の井別荘ロビーにいる中谷健太郎さん

大きくて派手な看板を出せばお客が来るというものじゃない。湯布院に見合った看板の出し方というものがきっとあるはずだろうと、今湯の坪をモデル地区にして、看板対策をし始めています。
景観というのは、非常に長い取り組みでものを見ていかなければいけない中で、どうやって湯布院らしい景観、湯布院らしい風景というのはどういうものなのかという精神的なものをどうやって後世に伝えていくか。そういうところでしかまちづくり、景観づくりというのは出来ないんだなと思っています。
最後に中谷健太郎さん(湯布院まちづくりのカリスマ的リーダー)のお手紙を紹介します。と小林華弥子さんは淡々と読み始めたが、いけない自分の目が潤むのです。某週刊誌に『行ってはいけないリゾート・温泉』として湯布院が載ったときのお話です。
***8月10日号の特集記事『行ってはいけないリゾート・温泉』を拝読しました。あちこちの方々からお見舞いみたいなファックスが飛び込んできたからです。でも、記事は全く正しいと思います。
まとめて言えば、農村が崩壊していく。それをどうやっても止められないという話に尽きます。瀕死の農村に都市の市場のエネルギーを注射することで、少しは村が元気になるのではないかと思ったのがきっかけですが、そして確かに少しは元気になったのですが、裏目も急速に噴出してきました。
『良いところらしい』といううわさが全国に広がったのです。『田舎道をのんびりと虫の声を聞きながら散歩が出来るところ』。それでお客様が増え続け、それを追って観光資本も殺到したのでした。
私たちは考えられるあらゆる手段で防戦し、村を守ろうとしました。旅館の収容力を自粛し、畜産振興のための牛一頭牧場運動をやり抜きました。
『建築・環境デザインに関するガイドブック』を作って町内全戸に配布し、議会に働き掛けて国の法律よりも厳しい『潤いのある町づくり条例』を通しました。
車に対抗して村道に客馬車を走らせました。毎夏音楽祭や映画祭をやり続けることで、歓楽型観光地のイメージを消し続けてもまいりました。
だけど結果は8月10号でご指摘の通りです。
日本中の農村が確実に滅んでいきます。お金の利潤を追って奔流する世界の資本の流れから、村が自由であり続けることは出来ないのかもしれません。だけど、私と私の仲間たちは、目を覆いたくなるような身辺の状況を相手取って懸命に働き掛け、説得し、戦い続けております。先日、駅のホールに中央の偉い方々をお迎えして、『町づくり観光フォーラム』を催しました。
その席で若者4人が素晴らしいプレゼンテーションをやってのけ、居合わせた聴衆は一様に、湯布院に強力な次世代が生まれ育っていることを実感したことでした。
うれしかったのは彼らが、私たちと同じ悩みや問題をそのまま受け継いでいることでした。むろんその解決のめどはついておりませんし、ひょっとすると永久に解決しないものかもしれません。
しかし彼らの真っすぐな強い視線を私は信じたいと思っています。他に人間が懸命にやることなどありはしないと思うからです。
私たちの戦いにお力をお貸しください。
日本中の田舎が、負けるわけにはいかない戦いを挑んでいるのです。
***
由布院に行くことが決まったとき、知人から「まちづくりのトップランナーと言われる由布院に何しに行くのだ、やるべきことも学ぶことなんかないじゃない」と言われた。
まちづくりに完成もなければ終わりもない、果てしなく悶え苦しむことをみんなと楽しみながらやっていく、ただそれだけ。仕事と学びと遊びが渾然一体となった最も濃縮された時だった。
(おいまい)
※写真は亀の井別荘ロビーにいる中谷健太郎さん

Posted by Qさん 大魔人 at 01:15│Comments(0)
│大魔神の思い