2007年10月15日
第1回やらまいかミュージックフェスティバルIN浜松(その1)
拙者が住む浜松市は、楽器を作るばかりの街から、音楽が街にあふれる
音楽のまちづくりを進めている。
ことが始まったのは浜松駅そばに3000人と1500人が入る大中ホールを持った
アクトシティーができた平成6年からかと思う。
今では国際ピアノコンクール、世界青少年合唱祭、吹奏楽甲子園、浜名湖畔
フォークジャンボリー、国際オペラコンクール、JAZZウィーク、オルガンフェスティバル、
普段の街角コンサートなど音楽イベントが年中ある。楽器博物館もあり、
その気になれば“いつでも音楽”になった。
だが、拙者の好きなロックは無い。
そこに彗星のように現れた「第1回やらまいかミュージックフェスティバルIN浜松」。

(やらまいか=Let’s do it.)
プロアマ問わずロック、ポップス、アコースティックを街中いたるところのステージ
でやろうというもの。
出演者募集には当初の予定の倍を越す218団体1183人の申込みがあったという、
そこから132の個人・団体が街中15箇所のステージに演出するというのだ。
手元のガイドブックを見ると90ページ中半分が企業スポンサーそして個人名・個人
商店名が名を連ねている。1300人を超す協力があっての開催とガイドブックに書かれている。
10月14日(日)雨を心配しながらの曇り空の元、ミュージックフェスがスタートを切った。
15に及ぶ会場それぞれにオレンジ色のジャンパーを羽織ったスタッフが迎えてくれた。

午前中、同時開催の浜松映画祭最終日で拙者は「めぐみ」を見ていた。拉致問題解決
に奔走する横田さんご夫妻の記録が中心となっており、めぐみさん失踪から30年の歴史
を一部であれ知ることができたことの意味は大きかった。
正義であれ闘うことの険しさをここでも目の当たりにした。
この映画なんとアメリカ人が監督である。
こうした興業に乗りにくいドキュメンタリー映画を地方都市で見ることは殆ど無理である。
由布院には文化記録映画祭があり年一度ではあるが、たっぷりドキュメンタリー映画
に触れることができる。浜松映画祭でも積極的に上映して分野である。(つづく)
溝口久
音楽のまちづくりを進めている。
ことが始まったのは浜松駅そばに3000人と1500人が入る大中ホールを持った
アクトシティーができた平成6年からかと思う。
今では国際ピアノコンクール、世界青少年合唱祭、吹奏楽甲子園、浜名湖畔
フォークジャンボリー、国際オペラコンクール、JAZZウィーク、オルガンフェスティバル、
普段の街角コンサートなど音楽イベントが年中ある。楽器博物館もあり、
その気になれば“いつでも音楽”になった。
だが、拙者の好きなロックは無い。
そこに彗星のように現れた「第1回やらまいかミュージックフェスティバルIN浜松」。
(やらまいか=Let’s do it.)
プロアマ問わずロック、ポップス、アコースティックを街中いたるところのステージ
でやろうというもの。
出演者募集には当初の予定の倍を越す218団体1183人の申込みがあったという、
そこから132の個人・団体が街中15箇所のステージに演出するというのだ。
手元のガイドブックを見ると90ページ中半分が企業スポンサーそして個人名・個人
商店名が名を連ねている。1300人を超す協力があっての開催とガイドブックに書かれている。
10月14日(日)雨を心配しながらの曇り空の元、ミュージックフェスがスタートを切った。
15に及ぶ会場それぞれにオレンジ色のジャンパーを羽織ったスタッフが迎えてくれた。
午前中、同時開催の浜松映画祭最終日で拙者は「めぐみ」を見ていた。拉致問題解決
に奔走する横田さんご夫妻の記録が中心となっており、めぐみさん失踪から30年の歴史
を一部であれ知ることができたことの意味は大きかった。
正義であれ闘うことの険しさをここでも目の当たりにした。
この映画なんとアメリカ人が監督である。
こうした興業に乗りにくいドキュメンタリー映画を地方都市で見ることは殆ど無理である。
由布院には文化記録映画祭があり年一度ではあるが、たっぷりドキュメンタリー映画
に触れることができる。浜松映画祭でも積極的に上映して分野である。(つづく)
溝口久
Posted by Qさん 大魔人 at 09:49
│大魔神の思い