2007年10月19日

全国まちづくりフォーラム(その2)

今回はどうもやり方が違う。
8年前は生みの苦しみを味わった企画に、
それに合うように観光協会事務局、そして早川町にある上流文化圏
研究所の研究員である当時早大大学院後藤研究室の鞍内氏他学生
らが会場の設営・運営に汗を流した。
地元の方々も、もちろん役場も、宮崎県五ヶ瀬町、北海道ニセコ町で
開催したものに劣らぬものをとムラの力を結集した。
今は廃校になった北小学校体育館を一週間掛けてムラのデザインをした。

全国まちづくりフォーラム(その2)

今回の相談があった時には企画はほぼ固まり、拙者は4つある分科会
(全国事例発表と討議)の内「みどりの分科会」を担当することが決まっていた。
環境をいかに守り育てるか〜水とみどりの凍結保存から活用保全への
道筋を探る〜といったたいそうな副題が付いていた。何をやればいいのか?
と尋ねても答えられる者無し、全国事例発表となればゲストを呼びたいが
その旅費や謝金はあるのか?回答無し。

こりゃあ、自分で全てを企画し、事例発表者も集め、場合によっては
分科会参加者も自分で集めよということかぁー。
「2.5時間をコーディネーターが自由にデザインする。これは、オモロイ」
コーディネーターにそこまでさせるのが、本フォーラムのやり方だった。

全国まちづくりフォーラム(その2)

さて、初日9月7日は川根本町お宝探検ツー。3つのコースが用意されていた。
拙者は「大札山周辺ハイキングコース」を選択。
大札山のツアーガイドは地元の製材屋の肝っ玉おばちゃん小澤節子さん、
この「せっちゃん」から山登り前に「中川根ふる里通信」第83,84号をいただいた。
創刊が昭和61年4月20日、平凡パンチはとうに無いが、この通信は20年余続いている。


写真、手書きの原稿を光沢紙に印刷した16頁にもなるしっかりとした新聞である。
第84号には台風4号の大井川大洪水の太文字に、長島ダムの1500立米/秒放流
の写真を表紙に、6〜12頁の特集「南太平洋の戦い」、元海軍飛行兵曹長 諸田君平氏が

昭和49年に書いた手記を転記している。
当時十代の諸田少年の戦記には「ソロモンの激戦、バラレ島の敵夜襲、印度・カルカッタ攻撃、
玉砕のグァム島より奇跡の生還」とあった。

そのタダモンのではない“せっちゃん”の案内で大札山に登ると、頂上では南アルプス臨み、
雲に隠れがちであるが富士山の稜線がわかる。
1月にアキレス腱を切断した我が脚は完全とは言えず下山時には苦労した。
道中のシャラの木の木肌が美しい、ぶなの木は葉が上を向き、
降った雨を葉から枝そして幹を伝わり、水を根元に集めやすい構造になっている。
このために根張りはそれほど広くないなどと“せっちゃん”の講釈を聞きながらの登山であった。
全国まちづくりフォーラム(その2)
※写真は登山した大札山とそこに住む蛙
(つづく)


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Posted by Qさん 大魔人 at 00:13 │大魔神の思い

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