2017年09月13日

富山への旅(その1)



7年ぶりに富山に出掛けた。「全国まちづくり交流会」が主たる目的だが、せっかくだからと小山町内にある
豊門公園に戦時中に供出され台座のみ残る日比谷平左衛門の像を再建すべく、そのブロンズ像の製作を
依頼した平和合金に行くことも、その目的に加えた。

像の台座には「明治三十三年以来、日比谷平左衛門君の吾が富士紡績株式会社の為めに、尽瘁せられたる
多大の功労を表彰せんか為め、有志者相謀り君の銅像を建設して之を不朽に伝ふ、明治四十年八月」に書かれ、
その横には「日比谷平左衛門銅像供出の碑」がある。これを72年経て今に再建するのだ。

現在、像のある豊門公園は修景工事中であり、これを機に目に付く位置に写し、豊門公園の持つその歴史性を
感じてもらおうと思っている。
製造工程の説明や現在作成中の他のブロンズ像を見させてもらった。学生の時に曲りエルボの木型作製から
砂型づくり、溶けたアルミを鋳込む一連の作業をしたことがあるので、製造工程はよくわかった。 

日比谷平左衛門像の実物はなく、あるのは写真のみ。作家は靖国神社にある大村益次郎像をつくられた大熊氏広という大物彫刻家だ。
他にも維新に功のあった人々ブロンズ像を多く制作し、代表作に「福沢諭吉坐像」「有栖川熾仁親王像」「小松宮彰仁親王像」がある。
大熊がどんな想いで、そして施主である明治の富士紡績がどんな期待を寄せて造らせたのかに立ち返り今に甦らせたいと思っている。
その5分の1の粘土模型ができていた。顔も大切だけどフロックコートの裾の波、肩口のシワが気になる。
これは実物を着て観察してみないと 写真だけではリアルにならない。
どこまで現代の作家ができるか、殖産興業時の歴史風味を出したい豊門公園の大事な存在になる日比谷平左衛門像の出来が気になる。
(つづく)



  


Posted by Qさん 大魔人 at 22:53Comments(0)