2009年09月14日
由布院の旅(その2)
次は、 由布院 亀の井別荘 中谷健太郎さんを訪ねた。
どこで、お相手をしてくださるのかなと思っていたら、
亀の井別荘玄関横の木陰にテーブルが用意されていた。
実に気持ちのいい場だった。
以下は、引き続き大阪の星乃さんの中谷さんのお話メモ。
・ 亀の井別荘は現在87年、あと3年で90周年。次に渡すため、あと3年は頑張りたい。
【亀の井別荘の土地の歴史】
・ 湯布院は盆地。その昔は雨が降ると洪水となり、すぐに水が引いていく土地。
・ 今の亀の井別荘がある土地は韓国の騎馬民族が渡来して定住した地域の南端。牛馬の飼育に使われた。
・ 明治になり、人類平等の思想とともに、それまで住んでいた集落が解散させられた。(ていのよい追い出し)
・ 雨による洪水対策として床を高くした。
・ 明治時代は韓国・中国を脅威として、九州を軍事基地として重要視するとともに、炭鉱などの産業を振興した。
・ そのような時代、別府は宴会で歓楽街に発展。由布院は偉い方の隠れ宿となっていった。
・ そうして、イケイケで戦争に突入した。
・ 戦後、朝鮮戦争の軍人の休暇「ちょい休み軍人」、オンリーさんで繁栄した。
・ 朝鮮戦争も終わり、寂れかけた由布院に町長が自衛隊を引っ張ってきた。そして道路改修などのお金も引っ張ってきた。
【亀の井別荘の宿のこと】
・ 昔は、旅館の前を川が流れ、その向こうに牛がいて、その向こうに田んぼが広がっていた。
・ 道路が整備され、静けさが失われようとしていた。
・ 安い宿泊費の旅館が増える傾向があった。
・ 宿泊費の安い旅館、中ぐらいの旅館、そして高級旅館で共存共栄する道を選んだ。
・ ヨーロッパの観光のあり方を見に行った。
・ ドイツの滞在型宿泊のあり方を見て、自然なあり方に共感した。
【樹を植えましょう運動】
・ 「村の風景を作ろう」と運動を始めた。
・ 補助金が出るので、樹より街灯をつくろうとの声は大きい、商店街にはあまり樹を植えてもらえなかった。それでも他地域に比べると樹が植わっている。
・ 「散歩」…、日本には散歩の文化がない。(せいぜいスポーツとしての散歩)
・ 日本の農村は樹を切る文化(日陰になり邪魔)、ヨーロッパは寒いため焚き木確保のため住戸の周りを樹で囲んだ。
・ 日本庭園には日陰がない。亀の井別荘は日陰の心地よさ。紅葉が多い。
※写真は亀の井別荘を案内する健太郎さん 当時は蓄音機一台で家一軒が建てられる値段だった。
Posted by Qさん 大魔人 at
06:45
2009年09月14日
由布院の旅(その2)
次は、 由布院 亀の井別荘 中谷健太郎さんを訪ねた。
どこで、お相手をしてくださるのかなと思っていたら、
亀の井別荘玄関横の木陰にテーブルが用意されていた。
実に気持ちのいい場だった。
以下は、引き続き大阪の星乃さんの中谷さんのお話メモ。
・ 亀の井別荘は現在87年、あと3年で90周年。次に渡すため、あと3年は頑張りたい。
【亀の井別荘の土地の歴史】
・ 湯布院は盆地。その昔は雨が降ると洪水となり、すぐに水が引いていく土地。
・ 今の亀の井別荘がある土地は韓国の騎馬民族が渡来して定住した地域の南端。牛馬の飼育に使われた。
・ 明治になり、人類平等の思想とともに、それまで住んでいた集落が解散させられた。(ていのよい追い出し)
・ 雨による洪水対策として床を高くした。
・ 明治時代は韓国・中国を脅威として、九州を軍事基地として重要視するとともに、炭鉱などの産業を振興した。
・ そのような時代、別府は宴会で歓楽街に発展。由布院は偉い方の隠れ宿となっていった。
・ そうして、イケイケで戦争に突入した。
・ 戦後、朝鮮戦争の軍人の休暇「ちょい休み軍人」、オンリーさんで繁栄した。
・ 朝鮮戦争も終わり、寂れかけた由布院に町長が自衛隊を引っ張ってきた。そして道路改修などのお金も引っ張ってきた。
【亀の井別荘の宿のこと】
・ 昔は、旅館の前を川が流れ、その向こうに牛がいて、その向こうに田んぼが広がっていた。
・ 道路が整備され、静けさが失われようとしていた。
・ 安い宿泊費の旅館が増える傾向があった。
・ 宿泊費の安い旅館、中ぐらいの旅館、そして高級旅館で共存共栄する道を選んだ。
・ ヨーロッパの観光のあり方を見に行った。
・ ドイツの滞在型宿泊のあり方を見て、自然なあり方に共感した。
【樹を植えましょう運動】
・ 「村の風景を作ろう」と運動を始めた。
・ 補助金が出るので、樹より街灯をつくろうとの声は大きい、商店街にはあまり樹を植えてもらえなかった。それでも他地域に比べると樹が植わっている。
・ 「散歩」…、日本には散歩の文化がない。(せいぜいスポーツとしての散歩)
・ 日本の農村は樹を切る文化(日陰になり邪魔)、ヨーロッパは寒いため焚き木確保のため住戸の周りを樹で囲んだ。
・ 日本庭園には日陰がない。亀の井別荘は日陰の心地よさ。紅葉が多い。
※写真は亀の井別荘を案内する健太郎さん 当時は蓄音機一台で家一軒が建てられる値段だった。
Posted by Qさん 大魔人 at
06:45
2009年09月13日
由布院の旅(その1)
西日本新聞に連載てきた「由布院玉の湯」の会長溝口薫平さんの半生をつづった
「虫庭の宿」がこの程、本になりその出版記念パーティーが由布院で開かれた。
300人ぐらいの人が来られた。一度に多くの懐かしい人に会うことができ小生は
とても嬉しかった。
その日にあわせ、「由布院玉の湯」に泊まりに来ないかと全国の友人知人に声をかけたところ
北海道、富山、静岡、大阪、愛媛、熊本各県から18名お集まりいただいた。
その18名のために話された薫平さんのお話を大阪の星乃さんがメモし送ってくださったので、
それを皆様にお伝えします。
※写真は出版記念パーティーが筆者の西日本新聞の野口さんと薫平さん
玉の湯 溝口薫平さん
・ 湯布院が今あるのは人間関係、「出会い」を大切にする。
・ ご縁を大切にして「ものがたり」を作る。
・ 周りの者に「何とかせなあかん」との気持ちを持たせる。
・ C・W・ニコルが日本の作家のように作家活動できる旅館を持ちたいとの話を快諾した。
・ 彼が夜にタイプを打つと音が響くので、昼間に文筆作業をして夜は飲むことに徹した。
・ 彼が飲む場に口コミで人が集まるようになり、C・W・ニコルBerを作った。
・ 集まるのは玉の湯の客40%:他の旅館30%:地元の方30%
・ 作家の宿となることで格が上がる。
・ 知的な交流の場を提供することは、宿の質につながる。
・ 外国の首長や政治家、文化人が利用することでも格が上がる。
・ 由布院の年間観光客数は300万人〜400万人
・ タイに集客活動の指導に呼ばれた。
・ 事業を進めるのに「押しと引きの間が大切」。気持ちのよい関係。
(男と女も近すぎるとしんどい。監視されている気持ちが生まれる)
・ 初めて作ったパンフレットの表紙に隠れキリシタンの墓石の写真を採用、これに議会は大反発!
・ 役所にはできないことも、「面白いからやってみよう」でできた。
・ 天皇に献上することとなった。1頁目に牛のお尻の写真に、またまた大反発!
・ 役所が考えるとまんべんなくとの発想になる。これでは目立たない。
・ 由布院の共通料理を考えて「猪鹿鳥料理」を作った。これも遊び心。
・ 「町制要覧」を「湯布院物語」として、中に私(溝口)と中谷健太郎さんの対談がある。
・ この「町制要覧」が600円でよく売れた。
・ 壊してはいけないものと、壊さなければならないものがある。
・ このような発想を持てば、普通なら潰される。/頼もしいけど煙たい存在。(ここに出てくると意味が通じない)
・ 継続するには、絶えずミズミズしさが大切。
・ 時代の変化を乗り切るためには、危機を感知する能力が必要。
・ 危機を感知する能力を高めるには、日常の友人が大切。(意味がわからない)
・ 思想は持ち込まないが思想がないといけない。(自衛隊基地反対運動)
・ 中谷健太郎さんが文化や芸術などあらゆる面で要だった。
・ 私(溝口)はプロデューサ(あらゆる人との関係を構築)、中谷さんはディレクター。
・ 由布院の良さは、何かやろうとすれば結集できること。(役者も変わる)
Posted by Qさん 大魔人 at
17:53
2009年09月13日
由布院の旅(その1)
西日本新聞に連載てきた「由布院玉の湯」の会長溝口薫平さんの半生をつづった
「虫庭の宿」がこの程、本になりその出版記念パーティーが由布院で開かれた。
300人ぐらいの人が来られた。一度に多くの懐かしい人に会うことができ小生は
とても嬉しかった。
その日にあわせ、「由布院玉の湯」に泊まりに来ないかと全国の友人知人に声をかけたところ
北海道、富山、静岡、大阪、愛媛、熊本各県から18名お集まりいただいた。
その18名のために話された薫平さんのお話を大阪の星乃さんがメモし送ってくださったので、
それを皆様にお伝えします。
※写真は出版記念パーティーが筆者の西日本新聞の野口さんと薫平さん
玉の湯 溝口薫平さん
・ 湯布院が今あるのは人間関係、「出会い」を大切にする。
・ ご縁を大切にして「ものがたり」を作る。
・ 周りの者に「何とかせなあかん」との気持ちを持たせる。
・ C・W・ニコルが日本の作家のように作家活動できる旅館を持ちたいとの話を快諾した。
・ 彼が夜にタイプを打つと音が響くので、昼間に文筆作業をして夜は飲むことに徹した。
・ 彼が飲む場に口コミで人が集まるようになり、C・W・ニコルBerを作った。
・ 集まるのは玉の湯の客40%:他の旅館30%:地元の方30%
・ 作家の宿となることで格が上がる。
・ 知的な交流の場を提供することは、宿の質につながる。
・ 外国の首長や政治家、文化人が利用することでも格が上がる。
・ 由布院の年間観光客数は300万人〜400万人
・ タイに集客活動の指導に呼ばれた。
・ 事業を進めるのに「押しと引きの間が大切」。気持ちのよい関係。
(男と女も近すぎるとしんどい。監視されている気持ちが生まれる)
・ 初めて作ったパンフレットの表紙に隠れキリシタンの墓石の写真を採用、これに議会は大反発!
・ 役所にはできないことも、「面白いからやってみよう」でできた。
・ 天皇に献上することとなった。1頁目に牛のお尻の写真に、またまた大反発!
・ 役所が考えるとまんべんなくとの発想になる。これでは目立たない。
・ 由布院の共通料理を考えて「猪鹿鳥料理」を作った。これも遊び心。
・ 「町制要覧」を「湯布院物語」として、中に私(溝口)と中谷健太郎さんの対談がある。
・ この「町制要覧」が600円でよく売れた。
・ 壊してはいけないものと、壊さなければならないものがある。
・ このような発想を持てば、普通なら潰される。/頼もしいけど煙たい存在。(ここに出てくると意味が通じない)
・ 継続するには、絶えずミズミズしさが大切。
・ 時代の変化を乗り切るためには、危機を感知する能力が必要。
・ 危機を感知する能力を高めるには、日常の友人が大切。(意味がわからない)
・ 思想は持ち込まないが思想がないといけない。(自衛隊基地反対運動)
・ 中谷健太郎さんが文化や芸術などあらゆる面で要だった。
・ 私(溝口)はプロデューサ(あらゆる人との関係を構築)、中谷さんはディレクター。
・ 由布院の良さは、何かやろうとすれば結集できること。(役者も変わる)
Posted by Qさん 大魔人 at
17:53