2021年10月06日
富士紡遺産復活物語(その7)




「森村橋」と書かれた橋名板、唐草模様の装飾、ランプ、凝ったデザインの欄干。
富士紡の工場に入るには、この橋を渡らなければならない。そう玄関口なのだ。
でも、森村橋に装飾の類は全て無かった。橋自体も錆びついていて、新森村橋が
できてからは、橋としての用が無くなり通行止めになっていた。この荒廃感が受けた
のかロケの場面にはたびたび登場した。橋に想い出深い人からは、錆びついてほっと
かれるのが辛かったのか、町へ何とかしてくれとの要望が来ていた。さて、どうしたものか?
森村橋も豊門会館同様に国の登録文化財になっている。粗末にはできないけど、使っても
いない橋をどうしたらいいものか?錆を落として塗装し直すぐらいが精いっぱいか?
込山町長からは「足柄ふれあい公園に駅からすぐに着けるように移設したらどうか」と言われた。
「普通に橋を架けたほうがはるかに安いですよ。それに、場所を変えたら森村橋の意味が無く
なってしまうのでは。理想は開橋当時の姿に戻すことですよ」と反論したが、果たしてできるものなのか?
製作は「東京石川島造船」、今のIHIだ。町長が参加する東京で開催される「ふじのくに交流会」
名簿にIHI顧問の名前を見たので、ここにアプローチを町長に頼んだ。「顧問は欠席だったが、
隣に座った初対面の佐藤さんにこのことを話したら、IHIの役員を紹介してくれることになった。」
とのこと。早速、吉田取締役が現場を見に来てくれ大変な驚きを示され、協力を約束してくれた。
でも、ただで改修してくれるなんてことはなかった。
そしてIHIエンジニアからは「復原の設計図がないとできない」とつれない。(つづき)
Posted by Qさん 大魔人 at 14:50│Comments(0)