2020年07月22日
足柄駅交流センター建設物語(その1)

小山町に平成26年に着任後すぐに、町長から「足柄駅舎を有人化することから始め、
賑わいのある場にしたい。ついては駅舎を建替え、足柄支所とコミセンを合築したい。」との使命を頂戴した。
「町の都合での建替えならば町の負担で、機能補償の負担も、線路のそばでの工事であるから、
様々な制限があるので十分な協議を」とJR東海が言うことは想像に難くなかった。
JR東海は地域に対する協力が希薄なことは知られたことで、リニア工事で静岡県との協議が整わないことも根っこは同じだ。
足柄駅は1903年(明治36年)に足柄信号所として開設された。昭和9年に丹那トンネルが開通すると、
鉄道は地方路線「御殿場線」に格下げ。これを好機ととらえた足柄地区住民は駅の新設運動を開始し、
昭和22年に信号所を駅に昇格させた。駅舎も住民が主体となって建築したものである。
時を経て、今回もJRではなく町が主体となってつくることに変わりはない。
JRとのやりとりには込山前町長が直接出向くなど、精力的な交渉が功を奏したのか
29年度から具体のスケジュールや条件が示され、動き始めた。
この間に足柄駅を取り巻く状況に大きな変化が生まれていた。御殿場プレミアム・アウトレットの
増築・ホテル建設、大型リゾート施設「アクアイグニス」の進出、ホテルジャストワンのオープン、
そして何よりオリンピック・パラリンピック自転車競技の町内開催がそれだ。
現在一日乗降客数500人程度(下り25本、上り23本の発着がある)であるが、大幅に乗降客が伸び、町の鉄道玄関口として
重要な役割を担うことになることは明白だ。これだけ玄関口の機能が強くなるとコミセンまで合築となるとスペースに
余裕が無くなりコミセンを使う町民としては普段着使いがしにくくなることもあって、
現施設を改修し使うこととし、足柄駅交流センター内には含めないこととした。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at 19:58│Comments(0)