2020年03月29日
群馬県への旅(その2)




高崎には何もないからと松本さんは言ったが、ネットで調べるとナンノ何の、昭和36年建築の
アントニン・レイモンド設計の群馬音楽センターがある。
建築を学んだものなら一度は目にしたことがあるのではないだろうか。折り紙のような構造で無柱空間をつくっている。
建設費の1/3が市民の寄附であること、昭和36年と言う早い時期に音楽ホールを造ったことは昭和20年11月、
戦後間もない荒廃の中で復興を目指した「高崎市民オーケストラ」が創設され、翌年に「群馬交響楽団」となり、
それが受け継がれている市民の文化性の高さがあってのことと思わざるを得ない。
驚くことに、隣接して同じくアントニン・レイモンドの設計による群馬シンフォニーホールが、
道を挟んだ向かい側には高崎シティーギャラリーがあり、ここにも市民ホールがある。
楽器を持って歩く姿がここではよく目にするとは松本さん談。人口37万人の高崎市が徒歩圏内に4つの音楽ホール、
更にスタジオを持ち「鑑賞と創造」が形になっていることにただただ感心した。小生の家のある浜松市も我が家から徒歩圏内に、
アクトシティーの大ホール、中ホールに、楽器博物館まであるが、「鑑賞」を主としたものだ。
世界では、文化を「都市が変化するための触媒」としたまちづくりが進んでいる。最近では衰退した工業都市ビルバオに
誕生したグッゲンハイム美術館により世界中から観光客が集まり、これにより地区全体の整備が進んだ話が有名だ。
今、小生が住む小山町の小山地区は富士紡の撤退により衰退が特に目立つ地区だ。ここにある富士紡の遺産である豊門会館
と西洋館を持つ豊門公園と森村橋を蘇生することが小生の仕事で、4年かけて価値がほぼ整った。
明治から昭和初期の遺産を世界とまではいかないけど、国内ならば胸張って自慢できる姿に整えた。
これが町を変える触媒となっていくことを願ってやまない。(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at 22:55│Comments(0)