2017年01月24日
ドバイへの旅(その7)






ジュメイラビーチはシャワー設備もあり海水浴もできるが、本ツアーにはそのよ
うな時間はない。
砂浜に絵模様が着いていて不思議に思うと、目の先に動くローラー車が版画の如
く模様を産み出していた。
次に向かうはジュメイラモスク、内部の見学は本コースに入っておらず残念。青
空に白いドームと2本の尖塔が映え美しい。
次はドバイ博物館、この日は休日で大にぎわい。我々が入館を待っている間にガ
イドがチケットを買ってくれ、時間ロスなく中に入る。
昔の暮らしから今のドバイにいたる時代の流れが展示されている。ガイドの案内
があるから、分かりやすかった。
ここで、「砂と油しかないドバイ」がここまでなったのかに触れてみよう。溢れ
るオイルマネーを使ってこうなっているんだろうと思っていたが、
それは違う。国づくりのドラマがある。ドバイ博物館で見た写真にあるように、
わずか50年ばかり前の姿は砂色の壁ばかりが目立ち、
海辺に住むごく一部の漁民と、大部分を占めるベドウィン族の砂漠に住むアラビア語
話す遊牧民 の総称。アラビア語でバドゥすなわち「町以外に住む人」の意。大部分は牧畜を行ない、
冬の雨季には砂漠,夏の乾季には泉や川の近くに移動する。)が暮らす場所だった。
デーツ(なつめやし)、天然真珠が交易物、でも日本の養殖真珠が世界に出回る
とたちまち真珠はダメ、今のお金持ちの国のイメージには程遠い。
第二次世界大戦が終結し、20世紀も半ばに迫った頃、第八代首長ラーシドが、
1959年のクウェートからの借金をもとにドバイ・クリークの浚渫工事を実施し、
中継貿易港としての基礎固めに成功して、以後の大発展の基礎を築いた。63年に
はドバイ空港を完成させた。当時ドバイにあった車の台数を上回る600台の駐車
場を設置した。
空と海のハブを整備したことが経済政策にスピードをもたらすことになった。国
が所有するエミレーツ航空もその着想の一つだ。
「ニーズじゃなくトレンド、先の国をつくる」このことを自分のまちづくりの思
想の根幹に置いている。このことは綾町の伝説の町長の郷田実氏から学んだこと
でもある。
(つづく)
Posted by Qさん 大魔人 at 23:13│Comments(0)