2015年07月15日
九州視察6月の旅(その2)



せっ かくだから、夜はみやき町長と呑もうではないかとの話になった。
6月29日、30日の一泊二日の予定を組んだ。そこまで行くのなら、
年一回は必ず行くことにしている由布院にも顔を出そうと27日から
出掛けることにした。
北九州空港に降り立った私を福岡県築上町の元農協職員、
その前はマツダに勤め技能五輪に板金の部で出場しなんと金メダリスト
になった信田さんが迎えに来ていてくれた。
手に包帯を巻き痛々しい姿に驚いた。腱鞘炎治療の手術をしたばかりというのだ。
申し訳ないと思いつつも、北九州の世界産業遺産候補の旧八幡製鉄の高炉を
見せに連れていってくれ、ついでに焼きカレーも食べたいと遠慮のない注文
を出してしまった。
関門海峡が見える場所で焼きカレー、ご飯の 上にカレーにチーズを載せオーブン
で焼いたカレーのこと。想像しやすい味である。
世 界産業遺産をめざす「明 治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」。
北九州市からは、1901年に創業した官営八幡製鐵所の関連施設がその構成資産と
なっ ている。
官営八幡製鐵所の関連施設は、製鐵所の構内に立地しているため公開されていないが、
構成資産のひとつである旧本事務所(1899年竣工)を眺望できるスペースがある。
その後まもなく7月5日に世界 遺産登録が決定した。
ここを見に行けばよかったが、最初に目にした高炉に吸いつけられるように
「東田第一高炉史跡 」に行った。機械工学も学んだこともある小生にとっては
何とも嬉しい存在なのだ。 そ の高炉のてっぺんには「1901」と大きく書かれている。
明治34年(1901)2月5日の官営八幡製鐵所東田第一高炉 の火入れを記している。
当時はドイツから技術者を招き、製鋼から製品までつくる一貫製鐵所として建設
された。
その後、埋立地・洞岡にも高炉を建設、昭和9年(1934)には日本製鐵の中では
最大の事業所となった。戦後復興に「八幡の鉄」は生産を伸ばし
、ピーク時の昭和40年代前半には八幡地区6基、戸畑地区4基、
計10基の高炉 が稼動、粗鋼生産は年900万トンに上った。
その後、生産拠点の移転や合理化の影響で、昭和53年には高炉はすべて戸畑地区
に集約、現在保存されている高炉は第10代として昭和37年 に建設されたもの。周辺は史
跡広場として整備され、銑鉄を運ぶトーピードカーや鋼鉄を作る転炉なども展示されている。
Posted by Qさん 大魔人 at 23:08│Comments(0)