2020年11月02日

富士紡遺産復活物語(その4)



その後の心配は維持管理のことである。「いいものであれば、人は真剣に手入れしようとするけど、

中途半端なものは大切にせず荒れてくる」は身をもって経験したことからくる持論だ。

幸い地元の田代さんと上田さんが名乗りを上げてくれ、集落支援員という制度により仕事

としてほぼ毎日手を入れてくれることになった。

次は建築だ。豊門会館は傷んだところを直すことを基本にしている。変えたといえば、

エレベーターを付けたこと、住み込みの管理人がいたスペースを管理事務ができるよう

にしたことぐらい。2階の広間は宴会場として使われていたことを踏襲したく、

エレベーターは料理を運ぶことをイメージしていた。

完成の暁には大宴会をと思っていたが、町長が代わったことでそれも叶わず、

開館お披露目もない様となってしまった。

西洋館は、富士紡が青年学校として建築した後に社員寮として使っていた。窓はアルミサッシ

に変えられ、増築もされていた。昭和5年の建築当時の図面を発見することはできず写真のみを

頼りに外観のみを復元することとした。一方で内部は1階をフランス式庭園、豊門会館の眺めを

楽しむカフェ&レストランに、2階を富士紡が進出してきた頃のできごととその後の小山町の発展

がわかる歴史ギャラリーにすることがベストと考え計画した。


  


Posted by Qさん 大魔人 at 20:18Comments(0)