2005年10月21日

愛媛県内子町の旅(その2)

岡田さんは喫茶室の一隅に座し、語り始めた。

20世紀にすべきことをしてこなかった“つけ”が噴出している。

行政も企業もコミュニティーも、見渡せば悪いことだらけ。社会正義が失われた世の中だ。疑問をたくさん持ってほしい。20世紀の膿を出すことが21世紀のまちづくりにつながっていく。自治を守りながら、どうやって真の意味の内子の地域づくりを

構築していくか?そこに県がはだかると厄介だ。補助金が絡み、国への説明は県を通すことになって、県の担当の理解が得られないと国には届かない。わからないのなら、国へのレールをセットしてくれて、後は直接町が説明に行かせてくれたら何ぼいいか。それをやっている大分県が羨ましい。あれもこれも必要と言って、いろんなもん造っても地域は一向によくならん。箱物はすぐにできるが、経営のノウハウがないまま駄目になっていく。行政は誰も責任をとらない。

以前、文化ホールを造って欲しいとの声が上がった。「建設費は国庫補助で賄うことができるでしょうが、ランニングコストは町負担となり、年間1億円かかります。4,000世帯ですので1世帯当り毎年2.5万円の負担になるが、皆さん払えますか?」と答えたら黙ってしまった。

20年前「内子座」を7000万円かけて蘇らせた。当時、再利用を図るなんてことはまだ非常識だった時代で、7割近くの人がその古ぼけた芝居小屋を壊して駐車場にしろと言った。今では町並み保存と相まって、なくてはならない存在となっている。ここに岡田流「引き算型まちづくり」の美学がある。こうした氏の実績が、「あるものを生かす」というまちづくりの基本となって広がっていくことになる。

公的肩書きなんかは地域づくりに何の機能もしない。役場職員も自分を守ることで汲々としている。まちづくり懇談会の席上で「予算がないからできない」と平気で答える。もともと予算要求など、する気もないのである。
まちづくりの賛同者は町の人であり、同僚でもなければ肩書きのある人でもない。しっかり自分の頭で考え、責任を持って行動するのがプロの仕事だ、と檄を飛ばされた。

町並み保存から、次は村並み保存。個人の生活があり景観が守りきれない。ならばどうするか。制度を入れようとすると、その裏では「いくらくれるのか?」となり、規制をつくれば「その範囲なら何をしたっていい」となる。形だけ整えてもだめ。

「誇りを植え付ける」ことこそ大切だ。身に染み付いてしまった田舎コンプレックスから脱却し、村に住むことに積極的な意味を見出して、生まれ育った村に誇りを持つこと、それが村の美観を高めていくことになる。
そんな話を聴いているところに突然ポケットの中の携帯電話が振動した。由布院の中谷健太郎さんからだ。

「Qさん、内子へ行っちょるんか。岡田さん大丈夫かえ?よろしくって言っちょいてくれ。」

言葉は少し弱くなってきていても、語る口調の熱さから、魂の元気さには何ら衰えなし。岡田さん、次回はゆるりと村内でお話をお聴かせ願いたいものです。

そして聴きそびれたサスティナブルツーリズムのあり方も――。くれぐれもお体大切にお過ごしくださいませ。ありがとうございました。

(おしまい)

※写真は右から拙者岡田さん日高さん(鹿児島県庁)石川さん(静岡県庁)

DSC04770.jpg
  


Posted by Qさん 大魔人 at 00:44Comments(0)大魔神の旅

2005年10月21日

愛媛県内子町の旅(その2)

岡田さんは喫茶室の一隅に座し、語り始めた。

20世紀にすべきことをしてこなかった“つけ”が噴出している。

行政も企業もコミュニティーも、見渡せば悪いことだらけ。社会正義が失われた世の中だ。疑問をたくさん持ってほしい。20世紀の膿を出すことが21世紀のまちづくりにつながっていく。自治を守りながら、どうやって真の意味の内子の地域づくりを

構築していくか?そこに県がはだかると厄介だ。補助金が絡み、国への説明は県を通すことになって、県の担当の理解が得られないと国には届かない。わからないのなら、国へのレールをセットしてくれて、後は直接町が説明に行かせてくれたら何ぼいいか。それをやっている大分県が羨ましい。あれもこれも必要と言って、いろんなもん造っても地域は一向によくならん。箱物はすぐにできるが、経営のノウハウがないまま駄目になっていく。行政は誰も責任をとらない。

以前、文化ホールを造って欲しいとの声が上がった。「建設費は国庫補助で賄うことができるでしょうが、ランニングコストは町負担となり、年間1億円かかります。4,000世帯ですので1世帯当り毎年2.5万円の負担になるが、皆さん払えますか?」と答えたら黙ってしまった。

20年前「内子座」を7000万円かけて蘇らせた。当時、再利用を図るなんてことはまだ非常識だった時代で、7割近くの人がその古ぼけた芝居小屋を壊して駐車場にしろと言った。今では町並み保存と相まって、なくてはならない存在となっている。ここに岡田流「引き算型まちづくり」の美学がある。こうした氏の実績が、「あるものを生かす」というまちづくりの基本となって広がっていくことになる。

公的肩書きなんかは地域づくりに何の機能もしない。役場職員も自分を守ることで汲々としている。まちづくり懇談会の席上で「予算がないからできない」と平気で答える。もともと予算要求など、する気もないのである。
まちづくりの賛同者は町の人であり、同僚でもなければ肩書きのある人でもない。しっかり自分の頭で考え、責任を持って行動するのがプロの仕事だ、と檄を飛ばされた。

町並み保存から、次は村並み保存。個人の生活があり景観が守りきれない。ならばどうするか。制度を入れようとすると、その裏では「いくらくれるのか?」となり、規制をつくれば「その範囲なら何をしたっていい」となる。形だけ整えてもだめ。

「誇りを植え付ける」ことこそ大切だ。身に染み付いてしまった田舎コンプレックスから脱却し、村に住むことに積極的な意味を見出して、生まれ育った村に誇りを持つこと、それが村の美観を高めていくことになる。
そんな話を聴いているところに突然ポケットの中の携帯電話が振動した。由布院の中谷健太郎さんからだ。

「Qさん、内子へ行っちょるんか。岡田さん大丈夫かえ?よろしくって言っちょいてくれ。」

言葉は少し弱くなってきていても、語る口調の熱さから、魂の元気さには何ら衰えなし。岡田さん、次回はゆるりと村内でお話をお聴かせ願いたいものです。

そして聴きそびれたサスティナブルツーリズムのあり方も――。くれぐれもお体大切にお過ごしくださいませ。ありがとうございました。

(おしまい)

※写真は右から拙者岡田さん日高さん(鹿児島県庁)石川さん(静岡県庁)

DSC04770.jpg
  


Posted by Qさん 大魔人 at 00:44Comments(0)大魔神の旅

2005年10月21日

愛媛県内子町の旅17.9.4(その1)

Jネット47という県庁職員有志の会がある。

2年に一度研修交流会をしている。今回は愛媛県が当番県だった。
愛媛県といえば内子町のまちづくりがつとに有名だ。
そのまちづくりをリードしている元役場職員、観光カリスマの岡田文淑さんのお話を伺った。


岡田文淑さんが体調優れないことは知っていた。
だが是非今こそ再会し、お話を聴きたいという無理なお願いに、
快く段取りしてくださった幹事の田中さんらには深く感謝してやまない。
由布院赴任中、観光協会と旅館組合の役員研修旅行で伺って
以来、7年半ぶりの内子だ。
「今、内子は由布院の1/10くらいの入込み客で一喜一憂している。
客が来れば金になるとひたすら信じ、駐車場をつくり、
トイレを建て、観光振興に過大な期待を寄せてきた人たちもいる。客は多ければ多いほどいい、多くなければ金にならないと信じて疑わない人の何と多いことか。安っぽい土産品を扱う店があっという間に建ち並んだ。心あるリピーターは、「内子も変わりましたねぇ」(由布院で散々聞かされてきた言葉と同じ)と、20世紀にあちこちに見られた“観光地”に様変わりしようとしている町並みを眺めて嘆く。まちづくりの手段が町並み保存であったものが、観光というフィルターを通して「まちこわし」に発展しそうだ。(グリーンツーリズムの提唱者の一人であるバーナードレーンが「行き過ぎたグリーンツーリズムは村の崩壊につながる」と言った、その言葉を思い起こす。)
内子町2



いい町を創ろうとすればするほど、いい観光資源につながっていく。
いい観光資源ができると資本は放っておかない。一過性の利益を求めて観光の仕組みがつくられる。旅の商品化であり、マスツーリズムの始まりである。そこには「もてなし」「癒し」といった旅の心は見えてこない。こんな理屈は由布院で学ばせてもらっているが、「その流れは何ともコントロールし難いものだ。」そう語っていた岡田さんに、今こそ直に会って、その難しいコントロール方法を聴きたかった。氏ならば何か策を打っているだろうと思ったからだ。(つづく)

※写真は内子町の町並み保全地区
内子町1
  


Posted by Qさん 大魔人 at 00:40Comments(0)大魔神の旅

2005年10月21日

愛媛県内子町の旅17.9.4(その1)

Jネット47という県庁職員有志の会がある。

2年に一度研修交流会をしている。今回は愛媛県が当番県だった。
愛媛県といえば内子町のまちづくりがつとに有名だ。
そのまちづくりをリードしている元役場職員、観光カリスマの岡田文淑さんのお話を伺った。


岡田文淑さんが体調優れないことは知っていた。
だが是非今こそ再会し、お話を聴きたいという無理なお願いに、
快く段取りしてくださった幹事の田中さんらには深く感謝してやまない。
由布院赴任中、観光協会と旅館組合の役員研修旅行で伺って
以来、7年半ぶりの内子だ。
「今、内子は由布院の1/10くらいの入込み客で一喜一憂している。
客が来れば金になるとひたすら信じ、駐車場をつくり、
トイレを建て、観光振興に過大な期待を寄せてきた人たちもいる。客は多ければ多いほどいい、多くなければ金にならないと信じて疑わない人の何と多いことか。安っぽい土産品を扱う店があっという間に建ち並んだ。心あるリピーターは、「内子も変わりましたねぇ」(由布院で散々聞かされてきた言葉と同じ)と、20世紀にあちこちに見られた“観光地”に様変わりしようとしている町並みを眺めて嘆く。まちづくりの手段が町並み保存であったものが、観光というフィルターを通して「まちこわし」に発展しそうだ。(グリーンツーリズムの提唱者の一人であるバーナードレーンが「行き過ぎたグリーンツーリズムは村の崩壊につながる」と言った、その言葉を思い起こす。)
内子町2



いい町を創ろうとすればするほど、いい観光資源につながっていく。
いい観光資源ができると資本は放っておかない。一過性の利益を求めて観光の仕組みがつくられる。旅の商品化であり、マスツーリズムの始まりである。そこには「もてなし」「癒し」といった旅の心は見えてこない。こんな理屈は由布院で学ばせてもらっているが、「その流れは何ともコントロールし難いものだ。」そう語っていた岡田さんに、今こそ直に会って、その難しいコントロール方法を聴きたかった。氏ならば何か策を打っているだろうと思ったからだ。(つづく)

※写真は内子町の町並み保全地区
内子町1
  


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