2021年10月06日

由布院への旅(2020.11/21~23)その2



秋晴れの下、富士山を眼下に無事に北九州空港に降り立ちレンタカーに乗り込み、予定通り朽網駅で次女をピックアップ、

そのまま由布院ではなく観光をしたいとのこと、大分県ナンバーワンの道の駅中津で昼食、

ここのハモ天釜飯はなかなか旨かった。さてここからどうする?昭和の町豊後高田に行くか、

紅葉の耶馬溪に行くか?耶馬溪を選択、ならば地元の萩原さんに連絡しない手はない。

「今日は仕事で案内はできない、もっと早くに言ってくれれば」と返されたけど、

「昼休みに抜けて顔出すわ」と米焼酎耶馬美人を手土産に現れてくれた。申し訳ないことだった。 

食後、土産の品をここで入手。耶馬溪「青の洞門」を目指した。

かつては難所で遭難者が絶えなかったこの地。江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって

山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がった。そのため通行人は競秀峰


高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通っていた。諸国巡礼の旅の途中に耶馬溪へ立ち

寄った禅海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で

岩壁を掘り始めた。さらに、和尚は托鉢によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、

30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させた。

これが「青の洞門」だ。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』のモデルにもなっている。(つづく)






Posted by Qさん 大魔人 at 14:59│Comments(0)
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