2021年10月06日

富士紡遺産復活物語(その8)


そうこうしている内に、ふるさと寄附金が集まりだしていた。設計は何とかなりそうだ。

でもこんな特殊な設計やるところあるの?とりあえず、橋梁設計に実績のある

コンサルタントを対象に設計プロポーザルを出しところ、渾身の設計提案が5社から出され、

八千代エンジニアリングに委託することになった。設計途中には富士紡から過去の資料しかも

図面を受け入れることになった。その中に森村橋の装飾の図面も設計書もあった。

豊門公園の駐車場側に造った門もこの時に出てきた図面が元になっている。

復元工事費を新たに造るならこの程度2億円と踏んだら、とんでもなく倍の金額になってしまった。

復原の方が新築よりもはるかに高い。というも橋の床下部は錆がひどくて橋をはずして

工場に持って行きオーバーホールしないとこの橋の構造の肝と言えるピン接合が復元できない。

橋を外すために支柱を鮎沢川に立てるとなると急に水かさが増えると危ないので渇水期の冬場に

しかも架ける際にまた使う支柱は、そのまま川に残すことができない。

そこで、仮の橋で森村橋を挟むように架けて、ボルトで結びつけてから森村橋を徐々に

切断してもっていくことにした。この工事の様子は定点カメラで撮影し、

工事の進行を西洋館2階の歴史ギャラリーのモニターで見ることができるようにしてある。

(つづく)





Posted by Qさん 大魔人 at 14:52│Comments(0)
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